山田孝之&仲野太賀主演…60年の時を経て公開される「集団抗争時代劇」の重要な意味
60年の時を経て蘇る映画
俳優の山田孝之(40)と仲野太賀(31)が、11月に公開予定の映画「十一人の賊軍」(白石和彌監督・49)で、ダブル主演を務めることが先ごろ発表された。戊辰戦争の最中、奥羽越列藩同盟と新政府軍との間で揺れた新発田藩(現新潟県新発田市)を舞台に、様々な事情から罪を犯した11人の罪人が「決死隊」となって砦を守る葛藤を描く。
【写真】令和に蘇る「集団抗争時代劇」に集った豪華キャストたち
山田は女房を寝取られた怒りから新発田藩士を殺害し罪人となり、砦を守り抜けば無罪放免の条件で決死隊として戦場に駆り出される駕籠屋の男・政(まさ)役。仲野は新発田の地を守るため、罪人たちとともに戦場に身を置く剣術道場の道場主・鷲尾兵士郎役を演じる。
この2人と共に戦う罪人――イカサマ博徒・赤丹役を歌舞伎俳優の尾上右近(32)、女郎・なつ役を元モーニング娘。の鞘師里保(26)、坊主・引導役を千原せいじ(54)、医師の倅・おろしや役を岡山天音(30)らが演じる。さらに、玉木宏(44)が決死隊と対峙する官軍先鋒総督府の参謀・山縣狂介役、阿部サダヲ(54)が新発田藩の実権を掌握する城代家老・溝口内匠役を演じるという、豪華キャストとなっている。
この映画、とくに邦画ファンにとってたまらないのは、作品のプロットだ。もともと同作は、東映で数々の名作を世に送り出し、2002年に亡くなった脚本家・笠原和夫氏が1964年に書き上げたもの。しかし、当時の岡田茂・東映京都撮影所長(のち会長)がボツにし、笠原氏は350枚の脚本を破り捨てた。しかし、プロットだけは残り、60年の時を経て映像化にこぎつけたという。さらに、60年前に東映が編み出した「集団抗争時代劇」を、令和の時代に蘇らせるという。
1950~60年代に東映を支えた時代劇作品は、市川右太衛門、片岡千恵蔵、嵐寛寿郎といったスター中心主義だった。しかし、テレビの台頭と共に、従来の作品からの観客離れが進み、新たな作品として生み出されたのが「集団抗争時代劇」だった。特に1963年の「十三人の刺客」(工藤栄一監督)は、それまで単独作品に主演していた千恵蔵や寛寿郎が一団となって闘うというもので集団抗争時代劇の先駆けと言われる。
「1人のヒーロー(主人公)が活躍するという映画の定番ではなく、チームワークで敵に打ち勝とうとするものや、主役を助ける脇役にもスポットを当て、総力を挙げて戦う姿を描くものです。スターをアップで追うのではなく、望遠レンズで集団による殺陣シーンを撮り、リアリズムも追及したこの手法は、多くの関係者や映画ファンに衝撃を与えました」(ベテラン映画担当記者)
笠原氏は後に、「仁義なき戦い」シリーズでも、主人公・菅原文太を中心に据えながら、複数のヤクザが戦後の混乱期を生きる姿をリアルな群像劇で描き、昭和の映画業界を牽引する。
「幻のプロット復活で、衰退の一途をたどる時代劇映画の“起爆剤”になることが期待されています。『勝てば官軍、負ければ賊軍』という言葉がありますが、笠原さんは歴史は勝者の視線でしか語られず、勝ち負けで善悪が決まるのが当たり前という風潮に『勝つことだけが正義なのか?』と一石を投じるべく、憎き藩のために命をかけて砦を守らなければならない罪人たちの葛藤を構想しました。笠原さんが描こうとしたドラマは、今の日本が抱えている社会問題とシンクロすると確信した東映が、権力への壮大なアンチテーゼに挑戦するために製作を決意したのです」(同)
映画業界関係者によると、令和に「集団抗争時代劇」が蘇ったもう一つの遠因として、時代劇映画の集客難があるという。
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