「オウム4人逮捕は公安警察のプロパガンダ」警察庁長官狙撃事件、スナイパーが公安警察に突き付けた挑戦状

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公安警察のプロパガンダ

 昨年7月、世間の耳目を驚かすニュースが流れた。その九年前に起こって未解決のままになっていた國松警察庁長官狙撃事件の容疑者として、突如、オウム関係者四人が逮捕されたのである。ところが、三週間後に、これは全くの空騒ぎとして終った。逮捕者全員があっさり釈放されてしまったのだ。いったい、これは何だったのか。その背後には何かの策謀があったのだろうか。

 それ以前に警視庁に逮捕されて厳重な報道管制の下、その長官狙撃事件について、捜査一課の係官を相手に三カ月もの間、連日殆ど休みなしの攻防戦を続けてきた私は、その間に知り得た事実とその後の推移から、ある種の陰謀の存在をはっきり感知したのである。

 これからその実体を説き明かすに当たり、警察、検察当局に対する私の個人的感情を抑えて、できるだけ客観的に記述するために、以下は、あえてNという三人称を用いることにする。

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 7月7日のオウム関係者四人の逮捕が公安警察のプロパガンダであることは、大方の指摘するところなのだが、では、なぜこの時期に、全員が不起訴釈放となって大失態と非難される結果になることを承知のうえで、この無謀ともみえるプロパガンダを強行しなければならなかったのか、その背後の事情を解明してみよう。

 今回の逮捕において、唯一の決め手といわれていたのは、拳銃の発射時にコートに付着したとされる金属微粒子の鑑定結果だったのだが、実はこれは逮捕時の一年以上も前に出ていた。その当時は、これはせいぜい「ないよりまし」という程度のものにすぎず、これに基いて立件しようとするような考えはなかったのである。そもそもこの鑑定自体が、警察内部でのプロパガンダに類するものであったとみてよい。

 長官狙撃事件の特別捜査本部として、百名ほどの捜査員を擁し公安部の一大拠点となっていた南千住署では、数年前から肝心の狙撃事件の捜査などほとんどやっていなかった。というよりも、もはや、やることがなくなっていたのである。現場の捜査員にしてみれば、数多くのガセネタ(偽情報)に翻弄されながらも、殆どのオウム関係者を洗い抜いていたのだから、「もう逆さにして振っても何も出ないよ」と言いたい気分であっただろう。名ばかりの捜査本部は、少数の者が過去の捜査資料の整理再検討の作業に従事するほかには、ときおり、もたらされる怪しげな情報の裏付け捜査に駆り出されるだけ、という状態になっていた。そのような状況下で、他の大多数の本部員は、本来の狙撃事件の捜査とは無関係な分野の仕事に向けられていたのである。

 公安警察は「警察」と称してはいるものの、実際はその上に「秘密」という語をかぶせて「秘密警察」と呼ぶほうがふさわしい特殊な組織である。当然、その活動の大部分は公けにされない秘密のものになる。秘密の活動にも、もちろん、それなりの予算と人員は要る。特別捜査本部という看板は、そのための“裏”(編集部注:原文は傍点、以下同)予算と“裏”人員を生み出すのに利用されていたとみてよい。

 公安警察というのは一種の聖域ではあるにせよ、各地の警察での裏金作りが槍玉に上げられている昨今の情勢下では、やはりそれなりの配慮はしなければなるまい。前述のように、コートを「スプリング8」という権威ある研究施設に持ち込んで鑑定を依頼したことも、今なお不断に本来の捜査活動を継続して成果を挙げているというアッピールの一環と受け取れる。

 公安部内にも、こうした小手先の糊塗策を続けているだけではまずいのではないか、という危惧はあったに違いない。しかし、官庁というのは、なかなか一気に方針を転換することができにくい組織である。そして、公安警察といえども、また、官庁組織の一員であり、何かの“きっかけ”がなければ簡単には動かないのである。

 ところが、03年(平成15年)の後半になって、その“きっかけ”となる異変が生じた。その年の夏、前年末に名古屋で強盗事件を起こして逮捕されていたNという男がアジトにしていた三重県名張市の民家が家宅捜索された際に、思いがけない物が出てきたのである。

 その一は、長官狙撃事件に関する記事を掲載した新聞、雑誌、単行本に加えて、英文のものまで含む各種の関連記事のコピーなど、膨大な量の文献資料であった。およそ、この事件に関する刊行物の殆どすべてが集められているといえるほどであった。これはもちろん、この事件に対するNの異常な関心を示している。だが、もともと事件自体が前代未聞の特異なものである以上、特別な関心を抱いた者がいたとしても、それほど不自然ではない。ジャーナリストなどにしても、ある一つの事件を深く掘り下げるために、関連資料を大量に収集する人もいる。というわけで、これは決め手となりうるほどのものではなかった。

 その二は、同時に押収されたフロッピー・ディスクに記録された詩編である。数個のディスクに、長短さまざまな一千篇近くの詩が記録されていたが、その中に五、六十篇ほどの狙撃事件を題材にしたものがあった。大半は叙情的あるいは風刺的なものだったが、なかには作者自身を狙撃者として書いている詩もあった。しかし、詩というものは、あくまで創作である。現実の事件を主題にして、いかに真に迫った小説を書いたからといって、その作者を犯人とするわけにはいくまい。ただ、これらの詩の中に、際立って写実的なものが一篇あった。「緊急配備」という題の下に、事件当日の中央線武蔵小金井駅の非常警戒の状況を正確に描写した詩である。だが、これとて作者がたまたまその場面に遭遇したか、あるいは、そこに居合わせた誰かから詳細な話を聞いたもの、といわれればそれまでのことであろう。

 というわけで、捜索の当初は、何か訝しいという程度にすぎなかったのだが、そこでの押収物が端緒となって新宿の貸金庫にたどり着いたときから、新たな展開が始まった。まず、最初に注目されたのは、特注品とみられる高性能ライフルだった。高精度を保つための肉厚の銃身、サプレッサー(消音器)をはめ込むためと思われる銃口部のねじ溝、折畳み式の銃床を取り付けてコートの内側に隠し持てるほどのコンパクトな寸法、命中時に先端部が潰れて殺傷効果を大きくするソフト・ポイント型のレミントンBR7という超高速弾(一般に弾速が大きいほど精度が高くなる)を使用するなど、どの点から見てもプロ用の特殊な狙撃銃と判断された。ある捜査員は、まさに(フレデリック・フォーサイスの)「ジャッカルの日」を思い起こさせる、と洩らしたくらいである。そのほかにも、掌に隠れるほどの超小型でありながら強力な22口径マグナム・ホローポイント弾を発射できるミニ・レボルバーなど、要人暗殺等の特殊工作用と思われる銃器が発見された。こうなれば、要人暗殺イコール長官狙撃という連想が生じるのは自然の成行きである。

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