「女優は脱がないと一人前になれない」という日本映画界のあしき風潮 「先生の白い嘘」騒動に見る「監督のパワハラ、性加害がなくならない理由」

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原作の理解度にも疑問符 不健全な現場で「覚悟」すべきは誰なのか

「万引き家族」(2018)の数々の受賞は話題になったものの、主演の安藤サクラさんが明かしたベッドシーンの撮影経緯は物議を醸した。当初は「事後」という体裁で写さないと言われていたのに、現場に入るとベッドシーンを撮ると言われて戸惑ったという。共演者の樹木希林さんはその場面が伸びやかで良かったと褒めていたし、絡みの有無だけで評価が変わるわけではないが、安藤さんの発言を聞いた後で見るとちょっと居心地が悪い気がしたものだ。

 インティマシー・コーディネーターの意義や重要性が語られ始めたのはここ数年のことで、「疎ましい職種」「性技お目付け役」とさげすむ発言をした有名監督もいる。ベッドシーンで尻込みする女優に対して「覚悟が足りない」と非難するのもよくあることだった。「先生の白い嘘」を指しているか定かでないが、三木監督は2020年に「はぁ、主演はれる度胸ある女優いないかなぁ。。。」とSNSに投稿している。でも今回の炎上は、「覚悟」や「度胸」という言葉を免罪符に、不健全な現場を正当化してきた映画業界人に、改めてNOが突きつけられたといえるのではないだろうか。奈緒さんも11日に自身のXで、かつては"傷つく覚悟"を持っていたが、作品を通し"自分を守り、傷つかない覚悟"の大切さを感じたとつづっている。

 でも性的な設定をヒロインが負っている作品が全てダメだというわけではない。今回の作品について一番の問題は、10年もかけて監督がどんなメッセージを伝えたかったのかがちっとも見えてこないことだ。原作者ははっきりと、性暴力への怒りが作品の起点になったことを表明している。しかし公式ホームページでは葛藤を抱えながら加害者と向き合うヒロインを、「快楽に溺れ」と表現していたことも問題視された。慌てて削除されたものの、監督らがどこまで原作者の意図を理解し、「覚悟」して製作したのか大きな疑問が残る。

 性犯罪は被害を訴え出ない割合が非常に高い。恐怖や屈辱によって「言えない」のと「言わない」の間には大きな隔たりがあり、原作もその心理をくんでいる。しかし「嫌なら直接言ってくれれば」と主演女優に平気で言えてしまう監督からすれば、「快楽に溺れ」るヒロインにみえたのだろうし、インティマシー・コーディネーターも無用の存在に思えたのだろう。一連の騒動は「本当に嫌ならその時言えばよかったのに」という、性犯罪の被害者を責める人や加害者にありがちな認知のゆがみをわれわれに伝えてくれたという意味では、非常に意義ある作品だったといえるのかもしれない。

冨士海ネコ(ライター)

デイリー新潮編集部

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