明治大から楽天入り、プロ5年目で明星大学大学院へ…西谷尚徳さん(42)に“異例の二刀流”を決意させた名監督の講義

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野村克也の長時間ミーティングで「開眼」

 チーム創設2年目となる06年、楽天監督に野村克也が就任する。この出会いは、西谷にとって刺激あふれる充実したものとなった。

「野村さんのミーティングは、高校の勉強の復習であったり、大学の講義に近いものがあったりました。お話を聞いていると、大学で勉強したこと、かつて本で読んだことが繋がる面白さがありました。まったく初めて聞くことよりも、復習、再確認が多かったんです。お話を聞いているうちに、“もっと勉強すれば、もっと理解できて、さらに面白くなるはずだ”と思いました。そして、気づいたんです……」

 野村克也による長時間ミーティングは、野球だけでなく、人生観、人間観にまで言及することで有名だ。西谷は目から鱗が落ちるような感覚を抱いた。

「野村さんは、“野球だけをやっていてはダメなんだ”とか、“現役引退後のこともきちんと考えておけ”と言っていました。それは、レギュラーになれない選手たちへのメッセージだと気づきました。それで、自分の思いが確かなものとなりました。“このまま、勉強を続けてもいいんだな”と」

 野村のミーティングは多くの名選手に好影響をもたらした。西谷にとっては、「野球」ではなく、「第二の人生」において多大な影響を及ぼすことになったのである。その結果、時間を見つけては、ますます教育書を読み漁るようになった。

「コーチには、“そんな時間があるのなら、バットでも振れ”と言われ、何も反論はできませんでした。でも、二軍ではバス移動の際にはパソコンを開いたり、専門書を読んだりしていました。遠征時にはツインルームだったので、一方のベッドに専門書や資料を広げて、空き時間には勉強をしました。意識としては、“野球は野球、勉強は勉強”と完全に切り分けて一日を過ごしていました」

 プロ入り以来、常に故障に泣かされ続けていた。プレーはおろか、練習すら、思うようにできない日々。西谷にとっての心の支えは勉強することだった。そして、彼は現役プロ野球選手でありながら、大学院への進学を決意する。

「4年目の途中、ファームディレクターを通じて、大学院に入学する許可をもらいました。教育系だと、早稲田か日大も候補だったんですけど、試合や練習があるので学校に通うことはできないので、明星大学の通信制に決めて、翌年の春に入学しました。最短2年で 卒業できる課程でした」

 しかし、大学院1年目となるこの年のオフ、西谷は戦力外通告を受ける。再び、人生の転機が訪れようとしていた――。                   (文中敬称略)

第2回記事では、引退後の生活を考え、大学院に通い始めた年に受けた戦力外通告で思った事と、「生まれ変わってもプロ野球選手にはならない」と振り返る現在の日々。

長谷川 晶一
1970年5月13日生まれ。早稲田大学商学部卒。出版社勤務を経て2003年にノンフィクションライターに。05年よりプロ野球12球団すべてのファンクラブに入会し続ける、世界でただひとりの「12球団ファンクラブ評論家(R)」。著書に『いつも、気づけば神宮に東京ヤクルトスワローズ「9つの系譜」』(集英社)、『詰むや、詰まざるや 森・西武 vs 野村・ヤクルトの2年間』(双葉文庫)、『基本は、真っ直ぐ――石川雅規42歳の肖像』(ベースボール・マガジン社)、『大阪偕星学園キムチ部 素人高校生が漬物で全国制覇した成長の記録』(KADOKAWA)ほか多数。

デイリー新潮編集部

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