明治大から楽天入り、プロ5年目で明星大学大学院へ…西谷尚徳さん(42)に“異例の二刀流”を決意させた名監督の講義

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 ノンフィクションライター・長谷川晶一氏が、異業種の世界に飛び込み、新たな人生をスタートさせた元プロ野球選手の現在の姿を描く連載「異業種で生きる元プロ野球選手たち」。第13回は、楽天から阪神を経て、現在は立正大学法学部准教授として教鞭をとる、西谷尚徳さん(42)です。元プロ野球選手から大学教員――異色の経歴ではありますが、お話を伺うと、西谷さんが学生時代から明確な目標を持って取り組まれてきたことが分かります。第1回では、明治大学野球部時代に起きた球界再編騒動とプロ入り後のお話を 伺いました。(全2回の第1回)

高校時代に教育者になることを決意

 高校進学時に重視したのは、「甲子園に出場できるかどうか?」ではなく、「恵まれた練習環境」でもなかった。当時中学生だった西谷尚徳が求めたのは「理想的な指導者」だった。

「現在は上尾高校で監督をされている高野和樹先生が、当時は鷲宮高校で指導されていました。高野先生は、技術指導よりも社会でのルールだとか、人と人とのコミュニケーションのあり方だとか、人間性を重視した、社会で生き抜くためのあり方を指導されていることで有名でした。あの野村克也さんと同じで、すごくミーティングも長い。大切なことは、言葉を変え、シチュエーションを変えて、何度も繰り返していました」

 後に野村の下で野球をすることになる西谷は、高校時代にすでに野球における指導者の重要性に気づいていた。高野を慕って埼玉県立鷲宮高校を選択した。そしてこの頃には、自分の将来について考え始めていた。

「高野先生に出会ったことで、“いつかは自分も指導者になりたい”という思いが芽生えてきました。自分自身、できるところまでプレイヤーとして野球を続けて、ゆくゆくは教育の道に進む。そんな目標ができました」

 東北楽天ゴールデンイーグルス、阪神タイガースを経て、現在は立正大学法学部法学科の准教授を務める西谷は、高校時代からすでに「教育者になりたい」と考えていた。だからこそ、明治大学進学後に将来を見据えて教員免許も取得した。このとき西谷には、彼なりの「戦略」があった。

「野球の指導者というのは、たいていが体育か社会の先生ばかりです。自分は、プレイヤーとしての自信はなかったので、みんながいるところよりは、いないところを目指した方が希少価値が出て、差別化できるのではないか。そんな思いから大学では文学部に入って、国語の教師を目指しました」

 ここまでのインタビューを通じて、野球そのものについての言及はほぼなかった。高校時代に「将来は教育者になる」と決意し、大学時代には「国語の教員になろう」と進路を定めた。それまでの間は、「自分なりに努力してレギュラーを目指そう」と小さな身体で奮闘した。明治大学では、すぐにレギュラーとなり、やがてキャプテンにもなった。それでも、何度も何度も故障に悩まされ、「プロ入りはまったく考えていなかった」という。

 しかし、2004(平成16)年の球界再編騒動で転機が訪れた。

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