【光る君へ】道長は「闇落ち」しないと明言されて… “大河ドラマのメルヘン化”が心配になる

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「政治屋」だからこそ感じていたうしろめたさ

 また、『光る君へ』の道長はいたって健康体だが、史実の道長は病弱で、頻繁に病に倒れていた。たとえば、定子が敦康親王を産んだ直後には急性胃腸炎になっている。だが、こうした病気だけではなく、たびたび怨霊が乗り移っている。

 長保2年(1000)2月25日に一帝二后を実現すると、5月19日には、道長に次兄の道兼の怨霊が憑き、続いて25日には、長兄の道隆が乗り移ったと、藤原行成は日記『権記』に記している。このとき、「(定子の兄で、不祥事で失脚した)伊周をもとの官職、官位に戻せば、道長の病も癒える」と、道隆が道長をとおして訴えたのだという。

 しかも、同じように怨霊が道長に憑いたという例は、その後も散見される。要は、道長の心中に後ろめたさがあるから、道隆が乗り移ったかのような言葉を発したりした、ということではないだろうか。

 ここまで見てきたように、道長の姿勢はどう見ても、東京都知事選で2位につけた石丸伸二氏がいう「政治屋」、すなわち「党利党略、自分第一」に該当する。しかし、その結果として、最高権力者と天皇の関係性が安定すれば、貴族的にはメリットがあった。その意味では、道長は「傲慢な独裁者」であったとは言い切れないが、この時代に発想自体が存在しなかった「社会的公正」をめざしたわけではないだろう。

 だから、道長をある程度「闇落ち」させないと、ドラマに不自然な設定が目立つようになってしまうのではないかと、心配なのである。

香原斗志(かはら・とし)
音楽評論家・歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。

デイリー新潮編集部

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