コロンブスは「新大陸の発見者」から「先住民の虐殺者」に どんな英雄も時代が変われば評価も変わる(古市憲寿)

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 日本で「コロンブス」のミュージックビデオが話題になっている頃、たまたまスペインにいた。大航海時代の先鞭をつけた国家であり、コロンブスとも縁が深い。特に当時のスペイン王の支援によってアメリカ大陸への航海が実現した。

 かつては日本でもコロンブスは英雄視され、アメリカ大陸「発見」という偉業が教科書に掲載されていた。

 だが近年は、功罪の「罪」に注目が集まることも増えている。先住民族がもともと住んでいたのに「発見」はおかしいし、暴力的な征服行為や感染症の伝播、文化的破壊の原因となったことも批判されるようになった。そこで「発見」を「到達」と言い換えたりする。

 そのコロンブスはスペインではどのような扱いになっているのだろうか。まず首都マドリードにはコロン広場があり、立派な記念碑が建てられている。さらに広場内の「発見の庭園」には、1970年代に整備された巨大な彫刻群が建ち並ぶ。その近くには壮麗な極大スペイン国旗がはためいていて国家としての威信を誇っているようだった。

 同じくマドリードの海事博物館でもコロンブスの偉業をたたえる部屋があり、きちんと「アメリカ大陸発見」と記されている(スペイン語で「descubrimiento」、英語で「discovery」)。また「コロンブスへの最初の敬意」という巨大な絵では、先住民がコロンブスにかしづく様子が描かれている。彼の「罪」に対するエクスキューズは見当たらない。コロンブスの「発見」により、スペイン王家の領土が拡大し、政治的・商業的利益をもたらしたことが述べられている。

 もっともコロンブスが出会ったタイノ族に対して侮蔑的なわけでもない。彼らの経済が狩猟や農業、漁業に依存していたこと、火山岩の彫刻に秀でていたことが淡々と説明される。

 ちなみにコロンブスの墓は同じくスペインのセビーリャにあるが、観光名所の一つだ。そのセビーリャでコロンブスの存在が議論されたことがある。1992年に開催されたセビーリャ万博での出来事だった。

「1992年」という開催年は、コロンブスのアメリカ大陸「発見」500年に合わせたものだった。だがいざ万博が始まってみるとコロンブスの影は薄かった。銅像も肖像画もなかった。ナショナリズム色を抑えたかったことや、かつて植民地だった国への配慮も働いたようだ。

 近年、アメリカ各地では、コロンブスの銅像にペンキがかけられたり、頭部がはねられるといった事件が相次いでいる。「新大陸の発見者」が「先住民の虐殺者」に評価を変えつつある。

 時代と共にどんな英雄も評価が変わる。だがそれ以前にほとんどの英雄は存在自体が忘却される。あらゆる街に建ち並ぶ銅像は名前を聞いてもぴんとこない人ばかり。同時代の評価は時間の前ではあまりにもはかない。

 没後500年以上がたっても論争の対象となる人物は、人類史を変えたという意味で、少なくとも特別な存在ではあるのだろう。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。

週刊新潮 2024年7月11日号掲載

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