恋人が「オジサン」と不倫していた… 51歳夫が今も後悔する“言わなきゃよかった”言葉

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思えば彼女の部屋は…

 彼女の女友だちは、むしろ彼女の不倫の行く末を心配しつつ、野次馬根性で眺めていたようだ。彼は彼女が不倫をしているなどとは予想だにしていなかった。

「しかも彼女の部屋って学生のわりにはいいマンションだったんです。親が金持ちなんだとばかり思っていたけど、実はその不倫相手が用意してくれた部屋だったらしい。彼女は自分の部屋より僕のアパートがいいと言ってよく来ていました。僕は1,2回しか行ったことがない。うしろめたかったんでしょうかね」

 知ってるよ、オッサンとつきあってるんだってねと、あるとき遼平さんは彼女を詰った。顔色を失った彼女に対し、体を売って楽しいか、金さえもらえば誰にでも股を開くのか、ついでに心も売ってるのかと詰め寄った。彼女はそれきり大学へ来なくなった。

 のちに彼女の友人から聞いたところによると、彼女はそのまま2年ほど休学して大学に戻ったらしい。そのときすでに彼は卒業していた。

「僕もショックは受けたけど、あのとき彼女を追いつめたことが嫌な思い出になっているんです。自分が彼女に恋をしていたからこそ、あんな言葉を投げつけてしまったけど、もしかしたら彼女にも事情があったのではないか。大人になればなるほど、自分が吐いた言葉に自分が苦しめられるようになっていきました」

 かといって今さら会って謝ることもできなかった。彼女は大学を卒業するとすぐに実家に戻ったようだ。実家の連絡先は知らない。そもそも謝るという発想自体が間違っていると遼平さんは言った。謝るくらいなら言わなければいい。言わずにすんだ言葉だったはずだ、と。

 若さゆえ、致命傷となる言葉をわざとぶつけてしまう。相手に逃げ道を残さない追いつめ方は人として非道だと彼は言った。

傷を抱えてサラリーマンに…

 そんな傷をもちつつ、彼はサラリーマンになり、職場の先輩の結婚式で知り合った紗織さんとつきあい、妊娠を機に29歳で結婚した。偶然だが、彼女の父親も職人だった。仕事の内容は違っても、父親同士がすっかり仲良くなったのはお互いの気質を見抜いたからだろう。

「うちのおとうさんが誰かとあんなに話すのを初めて見たわ、と紗織が言うから、うちのオヤジも普段は無口で、と。両方の母親同士もびっくりという感じでした」

 これも縁だということになり、結婚式は盛り上がった。遼平さんも紗織さんも、職人の子でありながら家業をしなくてすむ立場。ふたりで勤めを続けながら、ごく普通の家庭を築きたいという思いも一致していた。

「結婚して半年足らずで子どもが生まれました。オヤジには妊娠を話してなかったから妙な顔をしていましたが、そこはもう生まれてしまったものはしかたがない。紗織のところも同様だったようです。両家とも母親がうまく立ち回ってくれた」

 第一子は女の子、その3年後に男の子が生まれた。紗織さんは産休と育休を繰り返しつつふたりの子を必死で世話していた。もちろん遼平さんも時間をやりくりして子どものめんどうを見たが、当時はとにかく仕事が忙しかったので、紗織さんにはいつも「ごめん」と謝ってばかりいたという。

「それでも日曜日になると、子どもをふたり連れ出して公園に行くんです。当時、うちは近所の人が飼いきれなくなって譲り受けた犬もいて、子どもたちと犬とのんびり公園にいるときがいちばん楽しかった。その間、紗織には骨休めをしてもらう。でも紗織もよく一緒に来ていましたね。少しは休めばいいのにと言ったら、だって公園でみんなで遊ぶのが楽しいんだもんって」

 娘が小学校高学年になっても、家族はときどきその公園で日曜の午後を過ごした。仲のいい家族だった。「わが家がうまくいっているのは妻のおかげ」と遼平さんはいつも思っていたという。

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