恋人が「オジサン」と不倫していた… 51歳夫が今も後悔する“言わなきゃよかった”言葉

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【前後編の前編/後編を読む】パパ活する娘を叱ったら「お父さんこそ」と言われて…反論できず 51歳夫が過ごす崩壊前夜の家庭環境

「パパ活」という言葉が広く知られるようになってから、10年ほどの年月がたつ。パパ活アプリも多数存在する。基本的には女性が経済的余裕がある男性と食事をしたり、時間や体験を共有することでお金をもらう「活動」だ。もちろん、そこから肉体関係が生じて報酬がアップする可能性もあるだろう。

「うちにも娘がいますから、以前、そういうことが世の中にあると知ったときは震えましたね。当時、娘は中学生になるころだったけど、妻と『どうやって教育していったらいいんだろう』と話し合ったのも覚えています」

 内村遼平さん(51歳・仮名=以下同)には22年連れ添った妻との間に、20歳の娘と17歳の息子がいる。仕事優先の家庭生活ではあったが、いつでも子どもたちには真剣に向き合ってきたという自負はある。

「僕自身は男兄弟で育って、なおかつ3歳のときに母を亡くしているんです。それ以降は祖母が母親代わり。この祖母が『江戸時代の火消しの家系なんだ、うちは』とよく言っていて、本当かどうかわかりませんが、やけに鉄火な女だった。父は職人で、商売もしていたし、とにかくガチャガチャワイワイした中で、母のいない寂しさなんて感じたこともありませんでした」

「逃げた自分」

 遼平さんは3人兄弟の末っ子だった。長兄は商売を継ぎ、次兄は高校を出ると職人になるからと他の師のもとに住み込みで働き始めた。上ふたりより成績がよかった遼平さんに、父は「ひとりくらい、ちゃんと大学に行け」と言った。

「上ふたりがひどかっただけで、僕だって勉強ができるというわけではなかった。でも、親戚も含めて職人系が多い一族だったから、誰かひとりくらい大学に行ってちゃんとした会社に勤めてみろみたいな雰囲気はあったんです。僕自身は父や兄たちのように職人としての能力があるとは思えなかった。むしろ人並みに大学に行って、適当な会社に入ったほうが生きやすいかもしれないと思っていました」

 だから、そこそこ有名な私立大学に入ったとき、家族や親戚は大喜びしたものの、彼自身は「職人になれずに逃げた自分」を情けなく思っていたという。立場によって感じ方は変わるものだ。

「でも家族関係も友人関係も含めて、ずっと楽しかったですよ。あんまり嫌なことはなかったなあ。僕はどこか鈍感なんだと思います。ものごとを深く考えるタイプじゃない。だからなんだかこの年まですんなり生きてきちゃったんでしょう。妻にはいつもそれで怒られていますけど」

 大学時代は同好会のサッカーとアルバイトと女の子に明け暮れたと彼は笑った。恋愛というほど深刻ではなかったが、つきあっている女の子もいたし盛大にフラれて涙したこともある。「どこにでもある青春だった」と彼は少し懐かしそうにつぶやいた。

「軽い恋から重い恋まで、学生時代に経験しました。いちばんつらかったのは二股をかけられていたとき。1年半つきあったその子のことが大好きだったのに、なんだか様子がおかしい。どうしたのと聞いても何も言わない。約束をすっぽかしたり、デート中も浮かない顔をしたり。嫌いになったのなら言ってほしいと頼むと、『嫌いになったわけじゃないの』と涙ぐむ。心の底から好きな彼女だったから、具合でも悪いのかと心配したんです。そうしたら共通の友人が、『あ、彼女ね、バイト先のオジサンと不倫してて、それが妻にバレて大変みたいよ』って。僕ら、つきあっていることを公表してなかったんです。仲がいいのはみんな知ってたけど友だち以上恋人未満みたいに思っていたらしい」

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