【虎に翼】37歳になった寅子 物語全編に横たわる「キーワード」と「伏線」 後半の「戦い」を考察
ブルーパージと原爆裁判
法曹関係者は石田氏について、こう解説する。
「石田さんが司法権の独立に極めて熱心な人だったのは間違いない。しかし(1960年代から)自民党が裁判所の人事に介入しようとしたため、それをあらかじめ阻止しようとして、自らがリベラルな法律家を排除してしまった」
石田氏は「共産党の裁判官は認めない」といった発言もする。裁判官も国民だから、憲法第19条の思想・信条の自由を否定しかねない言葉だった。
この物語がブルーパージを取り上げるかどうかはまだ分からない。しかし、桂場と石田氏の歩みやキャラクターは酷似しており、ブルーパージ抜きにして現代法曹史は語れないから、触れると見る。
そもそも、この物語は男女不平等や民族差別などほかのドラマなら避けて通る問題から逃げない。人間の矛盾や変遷、批判される部分からも目を背けないはずだ。寅子の欠点や失敗も描いている。
原爆裁判もやると読む。寅子と三淵さんの軌跡は第71回(1951年)における米国視察といった細かい部分まで一緒。三淵さんと原爆訴訟は切り離せない。原爆訴訟を描くことにより、寅子が裁判官とし水源を守り続けられたかどうかは鮮明に表せる。
この裁判は三淵さんが東京地裁裁判官だった1955年に起こされた民事訴訟。原告は広島と長崎の被爆者3人で被告は国だった。三淵さんは陪席裁判官として第1回口頭弁論から結審まで全面的に担当した。
原告のうち広島の男性は16歳から4歳までの子供5人が爆死した。自分と妻、2歳の子供には重い障がいが残った。このため、男性は働けなかったが、国は医療費の援助程度しかしていなかった。
原爆が落とされてしまった国の責任を問う初の裁判だった。もちろん米国による原爆使用の是非の判断も求めた。
判決が出たのは1963年。判決文では、まず米国の行為が厳しく断罪された。
「原子爆弾による爆撃は、無防守都市に対する無差別爆撃として、当時の国際法からみて、違法な戦闘行為であると解するのが相当である」
国に対しても容赦なかった。
「国家は自らの権限と自らの責任において開始した戦争により、国民の多くを死に導き、障がいを負わせ、不安な生活に追い込んだのである。しかもその被害の甚大なことは、とうてい一般災害の比ではない。被告がこれに鑑み、十分な救済策を執るべきことは、多言を要しないだろう」
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