号泣SPをかばった安倍昭恵さん 弔問で友人に漏らした「私、本当に一人ぼっちに」

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 早いもので安倍晋三元首相の銃撃事件からこの7月8日で丸2年がたった。

 この間、山上徹也被告の犯行動機などに注目が集まる一方で、いわゆる「反アベ」的な人たちからは、あたかも犯罪を肯定するかのような心無い言葉が発せられることもあった。それもまた安倍氏の存在感の大きさの裏返しだともいえるだろう。
 
 しかしながら、動機や背景が何であれ、一人の生命が奪われたという事実は動かしようがない。いかに大物政治家であろうと、遺族の悲しみの深さは一般の人のそれと変わるものではない。

 以下に紹介するのは、銃撃直後の夫人、昭恵さんに関するドキュメントだ。とかく政治問題に結び付けられやすい事件を、別の角度から振り返るためにご紹介する(以下、週刊新潮 2022年7月28日号掲載記事をもとに再構成しました)。

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 あの人が亡くなった意味――。7月8日、突然の凶弾に斃(たお)れた安倍元総理(享年67)。未亡人となった昭恵夫人は、葬儀が終わった後も、そのことを考え続けているという。

「家庭内野党」を自任した昭恵夫人は、居酒屋の経営や森友学園騒動などでたびたび批判の矢面に立たされてきた。ところが、今回の事件を通じて浮かび上がってきたのは、夫の死に際して気丈かつ冷静に振る舞う姿であった。

 自民党関係者が事件発生直後を振り返って言う。

「安倍元総理が撃たれた直後の午前11時半過ぎ、秘書からの電話で昭恵さんは事件を知ったそうです。秘書は晋三氏の母親である洋子さんにはまだ伝えないでほしいと言ったそうですが、昭恵さんはまさに洋子さんと昼食を取ろうとするところだった。それで慌ててテレビを消して、取るものも取りあえず新幹線に一人飛び乗ったのです」

「もうダメなんだ」

 京都駅で近鉄特急に乗り換え奈良へと向かった昭恵夫人。京都駅では、昭恵夫人の身を案じた彼女の実弟が合流し、病院には菅義偉前総理や安倍派の事務総長である西村康稔衆院議員らも駆け付けた。

「昭恵さんが安倍元総理と対面できたのは午後4時55分頃。もっとも、昭恵さんは4時半頃には病院に着いていたんです。ただ、すぐには病室に通されず、医師からまず別室に呼び入れられた。その時点で、昭恵さんたちは“もうダメなんだ”と覚悟を決めたといいます。医師の説明を受けた昭恵さんが蘇生は難しいと判断し、昭恵さんが手を握り名前を呼びかける中、5時3分に安倍元総理は息を引き取られた」(同)

母・洋子さんの反応は…

 東京・富ヶ谷にある安倍夫妻の自宅には、当時、洋子さんを始め、兄の寛信氏や弟の岸信夫防衛大臣らが集まっていたという。

「安倍元総理が亡くなられたことは、昭恵さんから親族に電話で伝えられたようです。6月に94歳の誕生日を迎えられたばかりの洋子さんは、取り乱すことなく黙って息子の訃報を聞いておられたといいます」(同)

 昭恵夫人が、変わり果てた姿となった夫と東京の自宅に戻ったのは翌9日の午後になってからだった。

 安倍元総理の遺体が安置されたのは、洋子さんが生活していた自宅マンションの3階。外相などを歴任した父・晋太郎氏の仏壇がある和室だったという。

一人ぼっちに…

 別の党関係者によれば、

「そこから、通夜が行われた11日まで、安倍家にはひっきりなしに弔問客が訪れ、昭恵さんはその応対に追われることになった。合間には葬儀の打ち合わせもあり、晋三さんと二人きりになれたのは夜くらいだったのではないでしょうか」

 岸田文雄総理や麻生太郎副総裁ら自民党の重鎮が遺体の前で目を腫らす中、弔問には、かつて安倍元総理のSPを務めた警視庁OBの姿も見られたという。

「昭恵さんは、事件に責任を感じて号泣するその方にも“誰のせいでもありません”と慰めの言葉を掛けておられたそう。これだけの事件に見舞われながら、誰を責めるでもない彼女の強さは、とてもまねできるものではありません」(同)

 実際、晋太郎氏の時代から安倍家と親交のある深谷隆司元通産相は、10日に弔問に訪れた際のことをこう回想する。

「ご遺体が安置された部屋には、向き合うようにして洋子さんら親族の方が座っておられた。晋三さんは、たくさんの白い花に囲まれて、静かに眠っているように見えました。昭恵さんは休む間もない様子でしたが、帰り際にはエレベーターのところまで見送りに来てくださって。“私、本当に一人ぼっちになってしまいました”とうつむく昭恵さんの周りを夫妻の愛犬が無邪気に走り回っているのを目にして、私は涙をこらえることができませんでした」

事件の朝も散歩のあと、朝食を

 深谷氏と安倍夫妻とは家族ぐるみの付き合いで、食事を共にすることもあったという。

「昭恵さんはお酒を嗜(たしな)まれますが、あまり飲まない晋三さんの方がおしゃべりでね。バランスの取れた仲の良いご夫婦だったのに、無念でなりません」

 これには安倍夫妻を知る関係者も同意する。

「一時は離婚危機だの嫁姑の確執だのとマスコミに騒がれたこともありましたが、親しい人間の目にはそうは映りませんでした。夫妻はいつも3階の洋子さんの部屋で食事を取られていましたし、高齢の洋子さんの健康のために、朝、一緒に散歩をされることもあったそう。事件当日の朝は晋三氏が奈良にたつため慌ただしくされていたようですが、晋三氏と洋子さんが散歩をされた後、やはり三人で朝食を取られたようです」

 要人警護のあり方や市民の安全の確保の仕方。今回の事件によりさまざまな課題が浮き彫りとなったが、安倍元総理その人の死の意味をいつまでも問い続けることが、昭恵夫人にとっての弔いなのだろう。

デイリー新潮編集部

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