「あんたたち、私より前に出たらダメよ」毅然とソ連兵に向かい、自ら「犠牲」となった遊郭出身の若い女性 #戦争の記憶
1945年8月、朝鮮半島。敗戦の10日後には38度線が封鎖され、北側に取り残された日本人は「難民」と化した。ソ連軍の侵攻を知った数万人もの一般邦人は、西へ南へ向けて避難を開始。なかでも北緯38度線の突破は決死の道程だった。
「いよいよ困ったときは、女ででも買収せねばいかん」。避難民団は、ソ連兵などによる性的暴行から逃れるため、「身代わり」の女性を準備した事例が少なくなかったという――。
そんな窮状を憂い、6万人もの同胞を救出する大胆な計画を立てて祖国に導いた「一般人」がいた。...