泉谷しげる、復興進まぬ能登に「イラッとした」 自称“売名行為”コンサートを無料開催

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自称“売名行為”の数々

 泉谷の行動にはイベント関係者も、

「誰から頼まれたわけでもなく、いつも自分勝手ですからね。ま、泉谷さん自身が『偽善行動』『売名行為』だって、納得してやっていることなので何も言えませんが、経費の全てが泉谷さんの持ち出しになるわけですから、正直言って大変だと思いますね」

 と苦笑いするばかりだ。

 泉谷はこれまでも1991年の長崎・普賢岳の大噴火や93年の北海道南西沖地震の大津波の時に「一人フォーク・ゲリラ・ライブ」を全国各地で繰り広げたほか、阪神・淡路大震災、東日本大震災など災害が起こるたびに被災地への支援を積極的に行い「日本を救え!」と叫び続けてきた。

 一方、2010年に発生した口蹄疫で牛に大きな被害が出た際には、宮崎県の復興を応援しようと、宮崎市内で野外ライブ「水平線の花火と音楽」を開催。14年の阿蘇山中岳で起きた大規模噴火では、風評被害によって観光客が戻らない状況を憂慮し、「エンターテイメントで地域活性」を合言葉に南阿蘇村で「阿蘇ロックフェスティバル」を5年に亘って開催するなど、文字通り身をもって信念を貫き通してきた。

 そんな泉谷は、今回の珠洲市でのライブについて、ブログで〈能登を離れざる方々が増えてきている〉とした上で。

《珠洲市を離れる人らが、さらに多くなるなら、9月には誰も来れない?の不安はあるかも。外からの応援だけでは、日常災害と格闘してる人びとの忙しい時間には入り込めないだろう。オレは、ただ能登を応援したいのではないのだ。大好きな能登半島に、あのとき世話になった御礼を込め、恩返しをしたいのだ。だからどうしても能登半島にまた行くのだ。お前ら、待ってろよ。そして集まれ!》

 と綴っていた。

渡邉裕二(わたなべ・ゆうじ)
芸能ジャーナリスト

デイリー新潮編集部

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