日本女子初のパーフェクトを達成した「ボウリングの女王」中山律子 ライバル須田開代子との違いは“天性のひらめきと勘”(小林信也)

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8番ピンが…

 高校時代はバレーボールで2年連続国体に出場した中山の投球は、下半身のバネを利かせ、伸びあがるような美しさで見る者を魅了した。クールなまなざしと、そのフォームの躍動感、心地良さが人気の秘密だった。

 第10フレームは3投するからパーフェクト達成には連続12回のストライクが必要だ。いよいよ運命の第10フレーム。中山のクールなほほ笑みが消え、頬に緊張のこわばりが見えた。淡々と投げたはずの10投目は、しかしそれまでより遠い場所に落下した。中山の上体がかなり前に突っ込んでいた。ボールはレーンの中央に寄り、1番ピンに厚く当たってから3番ピンをヒットした。9本が軽やかに倒れ、最後列の左から2番目(8番ピン)が1本残った、ように見えた。

 中山の顔が一瞬凍り、会場に冷たい衝撃が走った。が、アッと叫ぶ間もない次の瞬間、真っすぐ立っていた8番ピンがゆっくりと、まるで人が倒れるように真後ろに倒れた……。マシンが触れたのではない。スロービデオでよく見ると、いずれかのピンがわずかに8番ピンに当たっていた。

「ゆっくり倒れていきましたでしょ。不思議だなあって思いましたけど(笑)。ツキがあるんだなって」

 これで冷静になったかといえばそうではない。残り2投の重圧がのしかかり、中山は冷静さを装いながら平常心を失っていた。その証拠に、本来は海野が先に投げる順番だったが、中山が先に11投、12投を投げている。海野は中山の興奮と記録達成に配慮して見守った。そして夢の記録は達成された。この模様がゴールデンタイムで録画放送されると、日本中がパーフェクトに酔い、中山はシンデレラ・ガールになった。

ライバルが洗面所で

 この日、府中に向かうタクシーの中で交通事故に遭っている。軽い接触事故でケガはなかったが、会場入りが試合直前になった。常人なら動揺するところだが、中山は「今日は気楽にいけばいいや、と開き直った」、それが快記録につながった。こうした大胆さ、天然ぶりが中山の魅力であり、強さの秘密ともいわれる。

 一方、ライバルの須田は対照的だった。常に策略をめぐらせ、執念と努力と負けじ魂で中山の前に立ちはだかった。実際、パーフェクトを記録するまで「実力は須田が上」と多くのファンが認めていた。中山の中央デビュー戦となった67年の全日本オープン、予選トップだった中山に洗面所で須田が「安心するのはまだ早いわよ」と言った。そこから中山はミスを連発、6位だった須田に逆転優勝を許した逸話は有名だ。

 第1回プロテストでも、最終日に逆転され、中山は2位に甘んじた。須田は中山人気絶頂の中、一時アメリカに渡り競技を離れた。その時、整形手術も受けた。強烈に自己主張する須田の存在は「さわやか律子さん」のまぶしさをいっそう際立たせた。

小林信也(こばやしのぶや)
スポーツライター。1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。大学ではフリスビーに熱中し、日本代表として世界選手権出場。ディスクゴルフ日本選手権優勝。「ナンバー」編集部等を経て独立。『高校野球が危ない!』『長嶋茂雄 永遠伝説』など著書多数。

週刊新潮 2024年7月4日号掲載

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