彼女が勝手にアパートを借りてきて…「夜逃げ同然」で始まった同棲生活 横尾忠則が“姉さん女房”との馴れ初めを振り返る

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 編集部のTさんは会う度に、夫婦の馴れ初めを書いてくれませんかとリクエストをします。いつも生半可な返事をしながら逃げてきましたが、書くテーマがなくなったので隠し玉というのも変な話ですが、いずれ書かされそうなので、早いとこ書いてしまいましょう。

 僕が20歳の頃、神戸・三宮駅前の神戸新聞会館内の新聞社にデザイナーとして入社した翌年のこと。いつも館内を先輩のデザイナーのOさんと連れ立って徘徊していました。そんなある日、Oさんが帰路、三宮駅のホームで、会館内に勤める女性から、僕を紹介してくれませんかと声を掛けられたと言うのです。

「横尾君、新聞会館の谷さんという女性知っとるか?」、「谷さん? 知らんなあ」、「その谷さんという女性が君を紹介してくれと言うんやけど、もし興味あったら会ってみいへんか?」。新聞会館に女性は十数人いるが、あんまり口も利いたことがない。ただ一人、いつもひとりで行動している女性が僕には目立った存在に映っていたが、その女性が谷さんかどうかは知らない。

「とにかく会ったら? 今日退社後、センター街を抜けて港の方へ折れた先きにミタスという喫茶店があるやろ、俺も一緒に行ってやるから、どう?」

 そんなわけでミタスの前にOさんと一緒に行くと、向こうから小走りでやってくる女性がいました。新聞会館のチョコレート色の制服ではなく、私服だっただけに一瞬とまどったのですが、驚ろいたことに前述の僕が興味を持っていた女性その人だったのです。まるでお見合いの仲人役のようなOさんは、「ほな、うまいことやりな」とまるでキューピッド役のような意味ありげな表情を浮かべて、ニタッと笑って、来た道を戻っていきました。

 突然僕と谷さんという女性が路上で取り残されたのですが、とりあえず目の前のミタスという大きい喫茶店に入ることにしました。彼女はミックスジュースを注文し、僕もそれに従がいました。彼女は間もなく始まる映画を観に行きませんか、とすでにチケットを2枚用意していました。映画はゲイリィ・クーパーとオードリィ・ヘップバーンの「昼下りの情事」でした。初めて会う女性が男性を誘う映画としては意味深だけれど、深く考えませんでした。僕の観る映画といえば石原裕次郎や小林旭の日活映画ばかりで洋画はほとんど観たことがない。第一、女性と映画を観るのは初めてだ。洋画という高尚な彼女の趣味に僕は小さい劣等感を抱いたのを憶えています。

 さて映画が終ったものの、僕のポケットにはお金がほとんどありません。こういう場合はどうしていいかわからないので、とりあえず彼女の家があるという長田行きの市電に乗って、僕は途中の中山手六丁目の下宿に帰ることにしました。

 翌日、三宮駅前の琥珀(こはく)という喫茶店の2階を指定した彼女とそこで昼間に会うことになりました。何しろ女性と二人きりで喫茶店に入ったことがないので、何を話していいのかさえ思いつかない。どうでもいい話しかできない中で、ふと中学時代に工作で作った自作の理想の家の模型の話をしました。僕のビジョンに彼女は、「こんな広い大きいお家(うち)に住んでみたいわ」と言いました。まるで新婚夫婦が描く将来の家庭生活を語っているように思えて僕は内心、まずい自分の話題に少し恥ずかしくもなりました。

 その日の夜は油が浮いている暗い神戸港の倉庫街のブイに腰を下ろして、またどうでもいい話をしました。彼女は何を話しても無言で笑うだけでした。とにかく、僕はお金がないのでデイトのために毎日喫茶店に行く経済力は全くなく、いずれ二人の関係も僕の清貧のために終るのではないかという予感がしていました。

 港と公園のベンチがデイトの場所でしたが、ある日、事態が急変することが起こったのです。僕の下宿屋に突然、彼女がタクシーでやってきました。荷物などほとんどない生活だったので、着のみ着のまま、そのタクシーに乗せられて、六甲山の麓の青谷というところにある小さなアパートに向かいました。どうやら僕に相談もなく、ひとりで勝手にアパートを借りて、「そこへ行きましょう」となったのです。彼女がそんなお金を持っていたことに僕は驚ろきましたが、知り合ってまだ一週間ほどしか経っていません。下宿屋への挨拶もそこそこにまるで夜逃げ同然で新居に移り、急遽この日から彼女との同棲生活が始まったのです。僕が21歳、彼女が22歳、ひとりっ子と7人兄妹の境遇の違う二人です。

 僕は本来、優柔不断な性格でした。自主的に行動を起こすようなことはニガ手で、自分の主体は相手の主体に従がうようなひとりっ子として養父母に育てられていました。一緒に住むようになって数ヶ月後、郷里の実家で細(ささ)やかな結婚式を挙げました。父は「ひとつ違いの姉さん女房は金の草鞋(わらじ)を履いてでも捜せというくらいや」から目出度いと喜こんでくれました。

 Oさんに紹介されて、アッという間にこのようになったので、すぐ会社に報告したら、急いでパーティを開いてくれました。新聞社と新聞会館の中でもこのカップルに大半の人が驚ろいたようですが、もっと驚ろいたのは彼女の行動に従がった僕自身です。僕は昔から運命に従がう生き方をしてきましたが、この結婚もきっと運命の神の戯(いたず)らだったんじゃないでしょうか。というのも妻はこの当時のことをあんまり記憶していないのです。まるで無意識的行為のように思っているのですから、彼女も運命に動かされたのかも知れません。

横尾忠則(よこお・ただのり)
1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。第27回高松宮殿下記念世界文化賞。東京都名誉都民顕彰。日本芸術院会員。文化功労者。

週刊新潮 2024年7月4日号掲載

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