「ママさん、先日の病気また参りました…」小泉八雲は心臓発作を起こした際、妻・セツに何と訴えたか

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 梅雨が明ければ「怖い話」の季節。「雪女」に「耳なし芳一の話」 ……誰もが一度は読んだり聞いたりしたことがある「怪談」の作者、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲=1850~1904)を取り上げます。アメリカにいた頃は無頼を気取る新聞記者だった八雲が、なぜ日本国籍を取得し、数々の名作を書き上げたのか。朝日新聞の編集委員・小泉信一さんが様々なジャンルで活躍した人たちの人生の幕引きを前に抱いた諦念、無常観を探る連載「メメント・モリな人たち」。今週は日本とその文化をオープンマインドで愛し続けた文豪の人生に迫ります。

妻が「朝ドラ」ヒロインに

 うれしい。実は少し前から噂は耳にしていたのだが、来年秋から放送されるNHK連続テレビ小説「ばけばけ」の主人公のモデルが、明治の文豪ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の妻・小泉セツ(1868~1932)に決まったのである。

 NHKによると原作はなくオリジナルの脚本とのことだが、やはりセツとはどんな人だったのか少しは知っておきたい。

 セツは現在の島根県は松江藩士の娘。明治維新で幕藩体制が崩壊し、武家が没落した時代に育った。

 生後7日目に他家の養女となり、18歳で婿養子を迎えるが、夫は“士族の商法”で失敗。セツは貧乏に嫌気がさして出奔し、生家の戸籍に戻る。

 1891(明治24)年、尋常中学の英語教師として松江にやってきた八雲と結婚する。子どものころから家計を支えるために機織りに精を出し、手足が太くなったとされるセツを八雲は一目で気に入ったらしい。

 八雲が死去するまでの13年 ほどの結婚生活で3男1女に恵まれた。「パパさん」「ママさん」と呼び合い、言葉や文化、風習の違いがあっても、互いに歩み寄って信頼関係を築いた。

 日本語ができなった八雲。代わりに夫婦間で使う独特な言い回しの日本語「ヘルンさん(八雲の愛称)言葉」を通じ、八雲は日本の不思議な話を聞き、興味を持つようになった。あの名作「怪談(KWAIDAN)」は、ヘルンさん言葉のたまものなのである。

 八雲のための古書店を回り、多くの本を買い集めたというセツ。八雲は「世界で一番良きママさん」とヘルンさん言葉で感謝したという。アメリカにいたころは屈折した無頼派の新聞記者だった八雲が、最晩年、早稲田大学に招かれ 、優れた教育者に転生したのもセツの影響が大きかった。

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