80年代は「ふしだら」の象徴だったコンビニ 寝坊した母親に渡された300円で買った菓子パンの思い出(中川淳一郎)

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 今では当たり前のように毎日通うコンビニですが、かつては「ふしだら」「緊急」の象徴でした。1984年~87年、わが家の近くにはセブン-イレブンが1軒ありました。ここを利用するのは中学に遅刻した時と災害時だけでした。

 家族全員がグースカ寝ていて起きたら8時! ヤベー! 弁当作れない! という時に母親は姉と私に300円ずつ渡し、菓子パンとおにぎりをコンビニで買うよう伝えました。これが「弁当さえ持たせられないふしだらな母」といった感覚で毎度「ごめんね、お弁当作れないでさ」と謝られたものです。いや、時々菓子パンが昼ごはんってのも好きですよ。

 そして、災害ですが、大雪と台風がそれにあたります。当時は災害時に電気とガスが止まることがあったんですよ。だから、いよいよ来るぞ……という時にわれわれはセブン-イレブンへ行き、弁当を買うのです。

 これが思いのほか、楽しいイベントだったんですよね。「なんでも好きなものを食べなさい」と言われ、私が選んだのは「イカフライおかか弁当」。ご飯にかつお節が乗っかり、その上にソースに漬けられたイカフライがドーンと横たわり、かき揚げと炒り卵がその両脇に鎮座している。

 まさに当時のキャッチフレーズ「セブン-イレブンいい気分、開いててよかった」だったんですよね。その頃朝の7時に開店し、夜の11時まで営業する店なんて滅多にありませんでした。スーパーなんて10時開店、7時閉店が当たり前。

 私のようなファンがそれなりにいたのでしょう。「イカフライおかか弁当」は何度もリバイバルされ、時々セブン-イレブンで復活します。えぇ、当然毎度買いますよ。

 というわけで、80年代、コンビニは特別な場所でしたが、今は全然特別ではなく日常的なものになりました。それは良いことだと思うんですよ。というのも「ふしだら」の概念が変わってきたからなのですね。

 大人になった今だから分かるのですが、どうも小学2年生の時の担任の男性教師は私の母親に対してエロいことを考えていた節があります。いや、それはお前の妄想だろ(笑)と思うかもしれませんが、案外核心に近いのでは。

 当時、私の父親はインドネシアに住んでいました。すると、そのX先生は私の母を時々学校に呼ぶんです。

「あなたの家は『片親』のような状況にあります。そのような状況では淳一郎君も由香ちゃん(姉)もまともに育つとは思えません。私は二人の担任を経験しましたが、二人とも父親がおらず寂しい思いをしているのはよく分かります。これから私を父親のように頼ってもらうよう二人に伝えていただけませんでしょうか」

 そんなことを言われたんですよ! そして、X先生はなぜか朝のホームルームの時間、生徒を前にこう語ったのです。

「中川君のお母さんは立派な人だ。最近はみそ汁を作る時にダシの素を使い、手抜きをする母親が多いですね。しかし、中川君のお母さんは煮干しからみそ汁を作る。これは素晴らしい」

 この時、「なんでコイツ、こんなこと知ってるんだ!」とギョーテンしました。真相は闇の中ですが正直、X先生、怖いです。

中川淳一郎(なかがわ・じゅんいちろう)
1973(昭和48)年東京都生まれ。ネットニュース編集者。博報堂で企業のPR業務に携わり、2001年に退社。雑誌のライター、「TVブロス」編集者等を経て現在に至る。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』『ウェブでメシを食うということ』等。

まんきつ
1975(昭和50)年埼玉県生まれ。日本大学藝術学部卒。ブログ「まんしゅうきつこのオリモノわんだーらんど」で注目を浴び、漫画家、イラストレーターとして活躍。著書に『アル中ワンダーランド』(扶桑社)『ハルモヤさん』(新潮社)など。

週刊新潮 2024年7月4日号掲載

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