【虎に翼】寅子の言葉が物語の指針に…「おかしいと声を上げた人の声は決して消えない」

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尊属殺人の重罰規定は避けて通れない

 朝ドラことNHK連続テレビ小説「虎に翼」は、良質のヒューマンドラマである一方で、極上のリーガルドラマでもある。3日放送の第68回、法曹史上に残る長い物語の幕が開いた。この物語の中心人物は最高裁裁判官を務めていた穂高重親(小林薫)と、現時点では最高裁人事課長の桂場等一郎(松山ケンイチ)。尊属殺人の重罰規定の是非が問われる。【高堀冬彦/放送コラムニスト、ジャーナリスト】

 この朝ドラのテーマは憲法第14条「法の下の平等」。このため、脚本を書いている吉田恵理香氏(36)は、尊属殺人の重罰規定は避けて通れない問題だと思っていたはずだ。

 そう考えると、大物民法学者・穂積重遠(1883~1951年)をモデルとする穂高重親と、第5代最高裁長官の石田和外(1903~1979年)がモデルの桂場等一郎を登場させた理由がはっきりと見えてくる。穂積と石田の接点はいくつもある。だが、最大のものは尊属殺人の重罰規定にほかならない。

 穂積は母校の東京帝大教授を務めたあと、1929年に開校した明治大女子部法科の設立委員となり、教授も務めた。明大はヒロイン・佐田寅子(伊藤沙莉)の母校・明律大のモデルである。

 穂積は史実の疑獄事件「帝人事件」(1934年)においては特別弁護人を務めた。この事件をモデルにした第18回から25回の「共亜事件」(1935年)で、穂高が弁護人を務めたのは記憶に新しい。寅子の父親・猪爪直言(岡部たかし)の無罪を勝ち取った。

 直言ら被告人全員に無罪を言い渡す判決文を書いたのは陪席裁判官の桂場だった。歴史上の「帝人事件」の場合、同じく石田が陪席裁判官として判決文を書いている。

 石田は事件がデッチ上げだということを強調するため、判決文に「水中に月影を掬する(きくする=すくい取る)が如し」と記した。桂場も同じ表現を使った。

 穂高と桂場は第2回(1936年)で早々と登場し、親しい間柄であることが明かされた。穂高が大学の講義の代講を桂場に頼み、お礼に竹もとの団子を渡した。

 2人がそろって序盤から出てきたのはなぜか? ともにキーパーソンだからである。穂高と桂場のモデルである穂積と石田は、法の下の平等を語るにおいて欠かせない人物なのだ。

 この朝ドラの第68回(1950年)、15人いる最高裁裁判官の1人になっていた穂高は、尊属殺人の重罰規定が合憲か違憲かの判断を迫られ、違憲と主張する。モデルの穂積も同じだった。

背景には儒教的な道徳観

 当時の刑法200条に定められていた尊属殺人とは、父母や祖父母ら目上の血族を殺害すること。その刑罰は死刑か無期懲役としていた。背景には儒教的な道徳観があった。ほかの殺人は死刑か無期懲役または3年以上の懲役刑だった。

 穂高はこの刑罰の差が法の下の平等に反すると主張したのだが、同調した裁判官は1人しかいなかった。第49回の民法改正審議会(1947年)において穂高と対立した東京帝大教授の神保衛彦(木場勝己)らほかの13人の裁判官は合憲とした。判決時、穂高はうつろな表情だった。

 同じ第68回で寅子が弟の猪爪直明(三山凌輝)らに説明したしたところによると、この事件で殺されたのは被告人となっている男性の父親。日ごろから周囲に暴力を振るい、犯行があった日も男性にあらぬ盗みの疑いをかけ、鍋や鉄瓶を投げつけた。カッとなった男性が鉄瓶を投げ返したところ、父親の頭に当たり、死んでしまった。

 1審判決は男性には情状酌量の余地があるとして、執行猶予が付いた。だが、検察が尊属殺人の重罰規定の適用を望み、裁判のやり直しを求め、最高裁に上告した。その場で尊属殺人は合憲となったから、男性は再び裁判を受けることになった。

「おそらく被告人はもっと重い刑罰になる」(寅子)

 第58回(1949年)から猪爪家と家族同然の扱いを受けるようになった戦災孤児・道男(和田案)はこの最高裁の判断に憤った。

「暴力振るっていたのは父親のほうだろ」(道男)

 死んだ道男の父親も飲んだくれで、自分と母親をいつも殴っていたから、他人事とは思えなかったのだろう。

 実の父親によって女郎宿に売られそうになった寅子の明律大の同級生・山田よね(土居志央梨)も複雑な思いだったようだ。やはり同級生で弁護士の轟太一(戸塚純貴)、竹原梅子(平岩紙)の3人でやっている轟法律事務所には、「尊属殺人規定は合憲」と報じる新聞が置いてあったが、誰も一言も口にしなかった。

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