吃音をコントロールして流暢に話せるようになったはずの男性が、なぜあえて「どもる」話し方に戻したのか

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 吃音に悩む人は少なくない。一説には成人の1%ほどが吃音だという。

 ノンフィクション作家・近藤雄生氏の『吃音 伝えられないもどかしさ』は、数多くの吃音当事者への取材をもとにした作品だ。

 同書に登場する一人が、重い吃音を苦に10代で自殺を図った過去を持つ男性。奇跡的に助かったものの、その後も吃音は彼の人生の足かせとなった。

 幸い、彼は訓練によって、どもらずに話す術を身に付けた。が、現在、彼は、あえてその「術」を捨て、どもることを選んで生きている。それはなぜか。

 そして昨年、彼の身に大きな影響を与える出来事が起きた――。彼の現在を取材した近藤氏による特別寄稿である。
 
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訓練で吃音は改善したが

 重い吃音が原因で高校に行くのが困難になり、男性は団地から飛び降りた。20年以上前のある日のこと、吃音の苦悩を終わらせるためだった。だが奇跡的に助かり、彼はその後、吃音を足かせのようにして生きてきた。

 その男性Tと私が出会ったのは2013年、彼が30代半ばのころである。Tは当時、幼い娘と2人で暮らしていたが、吃音の影響で働くことも容易ではなかった。娘と2人で生き続けていくためには、吃音をなんとかしなければならない。そう考えた彼は、ある言語聴覚士のもとに通って、吃音を治そうと決意する。そして、訓練の日々が始まった。

 Tは毎日、訓練を続けた。やれば確実によくなるという確証はなかったが、効果は少しずつ目に見えるようになった。そしていつしか彼は、吃音をコントロールする術を得る。訓練を始めて数年が経った頃には、訓練前とは別人のように流暢に話すこともできるようになっていた。
 
 ただそれは、彼の抱えていた問題を解決するには至らなかった。吃音をコントロールする術を持つことは確かに彼の生活を救ったが、根本にある問題は変わらなかった。そしてTは、問題の根本の解決を目指すために、訓練で身に付けた術を手放し、新たな手段を探ろうとする。だが、しかし――、というのが、5年前に出版した拙著『吃音 伝えられないもどかしさ』の軸となるストーリーである。吃音の当事者が抱えている困難について、計80人ほどの当事者や関係者を取材して書いた。

 刊行後Tは、「詳細に自分の過去が書かれているので複雑な思いだが、だからこそ苦しさが伝わるのだとも思う。多くの人に読んでもらいたい」と言ってくれた。しかし、本が出て半年ほどが経つと、彼はSNSから姿を消し、吃音当事者のコミュニティからも遠ざかっていった。

 私はその後もTとは時々近況を報告し合っていたが、吃音や生活の状況については詳しくは聞かずにいた。楽ではないが、でもなんとか元気にやっている。そんな様子が、彼の言葉からは伝わってきた。しかし2023年、状況を大きく変える出来事が起きた。私は彼に会いに行った。

元妻の転落死

 4年半ぶりに会ったTは、強くどもりながら話をした。一言一言、言葉に詰まった。かつて訓練で身に付けたものなど、すべて消え去ってしまったかのようにも見えた。カフェなどオープンな場所では話しづらいからと、カラオケボックスで話すことにしたが、隣室からJ-POPを歌う軽やかな女性の声が漏れ聞こえる中、Tは、一語、一音を、苦しそうに絞り出した。言葉を出そうと力が入った口元からは、発すべき言葉は容易には出てこない。時にただ、歯と歯がこすれ合う「ギギギ……」という鈍くて鋭い音だけが部屋に響く。そうした状態で彼はまず、自分の状況を大きく変えた出来事について、話してくれた。
 
 それはTの元妻の、突然の死であった。

 転落による事故死だったという。婚姻関係を終えてからはすでに久しく、Tは長年、事実上娘を一人で育てていたが、元妻との関係は良好だった。Tにとって彼女は、心から話をできるただ一人の存在だった。
 
「自分に、とって……、唯一、吃音と、離れた、関係性で……、代わり、のいない、存、在……で、した」
 
 彼女自身もまた、生きづらさを抱えている人だった。互いにそうした苦しさや問題を抱えているからこそ、相手のことを思いやれる部分があったとTは言った。
 
「直、接、自分の、悩みを、話した、りする、わけでは、なかった、ですが……、お互いに、察する、ことが、できる、関係、だった、と、思っています」
 
 Tは様々に困難な状況を抱えていたが、その言葉や行動、他者への思いには、常に一貫した信念と誠実さがあった。Tは過剰評価だと謙遜するが、私は尊敬とも言える気持ちを、取材を通じて抱くようになった。彼の生きる姿勢や言葉に何度も背中を押されてきた。その彼に、なぜまたこんなに苦しい試練が訪れなければならないのか。
 
 Tは、元妻とのことを話してくれた。初めて聞くことも多かった。そして言った。
 
「ぼくは、一人で、子育てを、やって、きた、とはいえ……、自分に何か、あったら、嫁が、いる、っていう、安心感が、あり、ました。高校、生、のときに、自殺未遂を、してから、どうしても、生きたい、とか、死にたく、ない、とか、そうい、う、気持ちに、なった、こ、とが……、ない、んです」

 しかし、妻がいなくなり、娘を守れるのはTだけとなった。

「いま、自分が、生きているのは、娘がいる、から、というだけ、です。それが、ある、から、踏み、とどまれ、てる、というか……。でも、今回、嫁が、事故で、急に、亡くなった、ことで、正直、自分だって、いつ……、死ぬか……、わから、ない、とも、思って、います。だから、いつ、死んでも、いい、用意は、しておこう、と思って……、エンディング、ノー、ト、を……、書き、はじめ、ました。いつ、死ん、でも、いいように、する、のが、残された、親と、して、の、責任と、思ったん、で」

 エンディングノートを書くにあたって、Tは過去を振り返った。すると「もう一度会っておきたい」という人が複数出てきた。その中の一人が私だったとTは言った。

 そう知って私は、問わずにはいられなかった。

「死にたいという思いがあるんですか」と。Tは言う。

「いや、そう、では、ないん、です」

不便と不自由

 Tがかつて訓練で身に付けた、吃音をコントロールする術は、いまはどうなっているのだろうか。彼の話を聞きながら、度々思った。

 私の取材が終盤に差し掛かっていた2017年の秋頃、Tはこのように話していた。「吃音をコントロールするのではなく、より根本から改善することを目指したい」。そのためには、訓練で身に付けた方法を一度捨てる必要がある、そして、自分自身でたどり着いた別の方法を身に付けなければならないのだ、と。

 もしかするとTは、新たな方法を試す過程で、コントロールができなくなってしまったのだろうか。しかし尋ねると、そうではないと言い、突然口調を変えて話し出した。
 
「これくらいで話すことは、いまでも、大丈夫なんです。落ち着いて、というか、呼吸を安定させて話せば、ある程度、流暢には話せます」
 
 さっきまでとは全く異なるTの話しぶりに驚いた。ゆっくりではあるが、吃音があるとはわからない。ただ少しゆっくり話す人、というぐらいにも見える。コントロールすることは、いまも変わらず可能なのだ。その術によってTは、生活を成り立たせ、苦難を乗り越えてきたはずだった。にもかかわらずなぜ、どもりながら苦しそうに話すことを選ぶのだろう。
 
「仕事の時や、スムーズに話さないと不便な時には、いまもコントロールして、話して、います。でも、必要がなけれ、ば……、できるだけ、コントロールは、したく、ないん、です。もともと、負荷の高い場面だと、崩れてしまったりもするし、いつでも、コントロール、できる、わけ、ではあり、ませんし」

 コントロールをしている状態としていない状態が混ざったような口調で、Tは言った。確かに、いろいろと難しさはあるのだろう。それでも、できる範囲でコントロールしてどもらずに話す方が、気持ちも身体も楽なのではないのだろうか。しかし、Tの苦しさは、そこにはないのかもしれなかった。
 
「自分は、もう、散々、どもり続けた……人生、だっ、たので、どもる、ことを、恥ずかしい、と思ったり、する、感覚は、いまは、ほとんど、ありません。コントロール、できるように、なった最初の、ころは、うれしく、て、しょっちゅう、買いもの、に行ったり、していました、けど、いまは、そういう、気持ちも、ありません。……症状が、重いと、相手に、気を、遣わせて、しまうので、コントロール、した方が、よいと思う場面、では、してい、ます。でも、そうでは、ない、時は、どもる、のが、苦しい、とか、そういう、ことは、もう、全然、思わないんです。僕にとって吃音、は、不便、では、あるけど……、不、自由、では、ない、という、か……」

 そして、コントロールを手放すもう一つの理由を、こう話した。

「訓練して、吃音を、コン、トロール、することが、できる、ように、なっていく、中で、だんだ、んと……、吃音、改善に、取り組んで、がん、ばっている人、っていう風に思われる、ようになって……。その、立場、が正直、しんどく、なって、いました。近藤、さん、の本が出る、前後、くらいの時期は、毎週、だれかの相談に、乗ったり、週何回も、LINEしたり、話したりで……。ぼくは、社交的な、人間、では、あり、ません。本来、の、自分、では、ない、人間を、演、じ、てるような、感じ、だったん、です。そんな、中で、吃音のコミュニティからも、離れ、たく、なって……」

 時に苦しそうに、体を動かしたりしながら、Tは続ける。

「あと、自分だ、って、苦労、して、いる、苦し、いんだ、ということを、わかって、ほしい……、という、気持ちも、あります。コントロール、して、話すことで、吃音、を克、服した、とは、思われ、たく、ない、という、か……。いまも、もともと、の、吃音、症状、自体が、改善、されて、いるわけ、では、全く、ないので。でも……、わかって、ほしい、と思って、しまう、ことが、僕の弱さ、だとも、思って、います……」

 いま、すごく寂しいです、ともTは加えた。

 吃音のコミュニティから離れ、自分を演じる必要はなくなったものの、コミュニティ外の友だちはほとんど皆無であることに気づかされた。人間関係を築くのが苦手であり、その根底にはやはり吃音があると感じている。幼少期から、たわいもないやりとりさえせず、人との交流を避けてきた弊害なのだろう。

 唯一気の置けない存在だったという元妻は、それゆえにTにとって、本当にかけがえのない人だったのだ。その死が、いかにTにとって辛い出来事だったのか。それはきっと、想像以上に違いない。そう思いながら、私にはただ、Tが絞り出すようにして発する一言一言、一音一音を、聞いていることしかできなかった。

 私が取材を始めてから現在までの約10年の間に、吃音についての認知は大きく広がった。合理的配慮が得られる場面も確実に増えたし、当事者の苦労も、以前より格段に、知られるようにはなったはずだ。

 しかしながら、当事者の苦しさは、いまもそれほど変わっていないのかもしれない、とよく思う。思うようにコミュニケーションが取れないこと、そしてその状態に常に不安を抱えながら生きることは、人生を時に根底から揺さぶるのだ。
 
 では、どうすればいいのか。答えは簡単には見出せない。Tが発する言葉の重みが、受け止められてほしいと思う。

 
■相談窓口

・日本いのちの電話連盟
電話 0570-783-556(午前10時~午後10時)
https://www.inochinodenwa.org/

・よりそいホットライン(一般社団法人 社会的包摂サポートセンター)
電話 0120-279-338(24時間対応。岩手県・宮城県・福島県からは末尾が226)
https://www.since2011.net/yorisoi/

・厚生労働省「こころの健康相談統一ダイヤル」やSNS相談
電話 0570-064-556(対応時間は自治体により異なる)
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/seikatsuhogo/jisatsu/soudan_info.html

・いのち支える相談窓口一覧(都道府県・政令指定都市別の相談窓口一覧)
https://jscp.or.jp/soudan/index.html

近藤雄生(こんどう・ゆうき)
1976(昭和51)年東京都生まれ。東京大学工学部卒業、同大学院修了。ノンフィクションライター。大谷大学/放送大学非常勤講師、理系ライター集団「チーム・パスカル」メンバー。自身の吃音をきっかけの一つとして、大学院を修了した後、妻とともに日本を発ち、各地を5年以上にわたって旅する。その間にライターとして活動を始める。著書に『吃音 伝えられないもどかしさ』『遊牧夫婦』『旅に出よう』『10代のうちに考えておきたい「なぜ?」「どうして?」』などがある。最新刊は、緩和ケア医・岸本寛史氏との共著『いたみを抱えた人の話を聞く』。

デイリー新潮編集部

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