NHK中継がある自民党の予算委員会は本当に酷かった…青山繁晴・参院議員がみた「派閥支配の実態」

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 第1回【岸田首相の発言には椅子から転げ落ちるほど驚いた…青山繁晴・参院議員が語る「裏金」と「特権意識」の問題点】からの続き。読売新聞主筆の渡邉恒雄氏は1967年、『派閥と多党化時代 政治の密室 増補新版』(雪華社)を出版した(全2回の第2回)。

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 ところが昨年の11月から自民党の派閥による政治資金パーティーの裏金事件が大きな注目を集めたため、この本を実業之日本社が4月に緊急復刊し、関係者の間で話題になっている。

 著書の中で渡邉氏は「派閥の発生理由」を解説している。理由は3点あるといい、その部分を引用させていただこう。

《第一には国会議員が、官役職を得る足場として派閥に属して、その序列を待ち、“親分”たる実力政治家の力を頼ろうとすること》

 新人の国会議員が派閥に所属し、雑巾がけから始めて当選回数を重ねるうちに、政務三役(大臣・副大臣・大臣政務官)に起用してもらえる──これは今も変わらない風景だ。

《第二には、資金的な恩恵を得ようとすること》

 当時は企業献金が認められていたこともあり、当時の派閥は今とは比較にならないほどのカネが流れ込んでいた。それを派閥のドンが手下の議員に分配し、《資金的な恩恵》を与えていたわけだ。

 現在の派閥は議員のカネを吸い上げ、ポストと共に分配するというシステムに変化した。とはいえ手下の議員に「裏金を作れ」と指示するなど、依然として《資金的な恩恵》を与えていたのは間違いない。

《第三には、中選挙区制による同一選挙区内の対立による》

 当時の衆議院選挙は中選挙区制だったため、当選者は複数名。そのため1つの選挙区で2人以上の自民党候補が出馬することは当たり前だった。自民党を代表する候補ではなく、各派閥を代表する候補として選挙を戦ったわけだ。

派閥の恩恵

 ところが現在は小選挙区制だ。1993年7月の衆議院選挙が最後の中選挙区制で、小選挙区制の定着と共に派閥は消滅するとの意見も多かった。だが、派閥は今も生き延びている。

 なぜ派閥は存続しているのか。自民党の参議院議員の青山繁晴氏は、裏金事件が発覚してから常に強い怒りを表明しており、裏金事件の本質は派閥にあると指摘している。

「先日、テレビ番組の『情報ライブ ミヤネ屋』(日本テレビ系/読売テレビ制作)に久しぶりに参加した際、政治ジャーナリストの田崎史郎さんと一緒だったんです。ぼくが派閥を解体しないと何も始まらないと指摘すると、田崎さんは『青山さんが自由に発言して、何も起きないのが自民党のいいところ』と仰った。そこで『評論家は現場をご存知ないですね。完全な無派閥でいると不利益が山のように起きています』と返したのです。例えば、派閥に属さず、準派閥と言うべき『グループ』にも属さない議員は、基本的には政務三役に選ばれません。ぼくも、外交、防衛、危機管理、資源エネルギー、情報の五分野で専門性を党内で認められていますが、無役です」

 自民党議員が政策や立法について議論する場は「部会」と呼ばれている。

「毎朝8時から国政の全分野において部会を開き、本物の議論を戦わせているというのは自由民主党(註:青山氏は結党の精神に戻れと主張し、自民党とは言わない)のいいところですから、ぼくは必ず出席します。部会の議論は取材不可ですが、部会長の記者レクはあるので非公開と公開のはざまです。ぼくは自分と政府の問答に限ってYouTubeを使って主権者に報告しています。ところが部会は自由参加なので、出席しない議員のほうが多いのです。顔を全く見ない議員が、しばらくすると部会長に就任したりする。これも派閥や準派閥である『グループ』の恩恵でしょう。完全無派閥の議員は部会長にも、国会の各委員長にもなれません。国会での質問時間も、主な海外出張も、派閥が仕切ります」

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