幻に終わった「4番・岡本和真」の打順変更…ON時代の自分を思い出したワケ【柴田勲のコラム】

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大勢はまた故障しかねない

 中川皓太と大勢が30日、1軍に上がってきた。西舘勇陽が登録を抹消され、アルベルト・バルドナードはここ直近3試合で連続失点していた。

 西舘は制球難、抑えのバルドナードは精神的な疲れが見て取れる。重圧がかかる場面で登板してきたが、最近は悲壮感さえ漂っていた。当分、楽な場面で起用した方がいい。中川は左膝痛から約2カ月半ぶりの復帰となった。

 大勢は5月4日、右肩の違和感を訴えて緊急降板して故障班に合流していた。30日は9回に登板し、四球2個が絡んで2死満塁のピンチを迎えたが最後は切り抜けた。19球、すべてストレートだった。でも、相変わらず上体の力で目いっぱい投げている。

 速く強い球を投げたい。こう思っているのだろうが、もっと下半身の切れで投げる必要がある。上体の力だけに頼っている。中日のライデル・マルティネスがいいお手本だ。そんなに力を入れて投げていない。下半身を使って、もっと楽に投げる。そうでないと、また故障しかねない。

 西舘はコントロールを磨く必要があるが、2軍に行ってよかったと思う。外角低めへの投球が肝で1軍ではできないこともある。試合にもどんどん出てほしい。ファームでは3イニングで四球を1個も出さない。そういう投球を心がけてほしい。

なんとしてでも優勝したい

 坂本勇人が打撃不振のためファームで調整中だ。一刻も早く1軍に上がってほしい選手だし、上がってもらわねば困る選手だ。

 見ているとバットが下から出ている。速い球はファウルになり、遅い球を引っかける。いい時はバットが水平に出ている。あおっている。坂本が1軍にいる、いないでは全然違う。いなけりゃ相手は楽だ。

 巨人が新外国人選手をまた獲得するという。3Aアルバカーキのココ・モンテス内野手
で27歳だ。強打の右打者との前評判だ。強肩で内野ならどこでもOKとか。

 今年は巨人にとって創設90周年の記念イヤーだ。なんとしてでも優勝したい。こんな気持ちが伝わってくる。門脇誠が不振だし、新人の泉口友汰にも打撃面では大きな期待がかけられない。

 途中入団のヘルナンデスが当たった。ハングリー精神あふれる3Aの選手が入団すれば、戦力層は厚くなる。競争も激化する。

「二匹目のどじょう」を狙っての補強だろうが、さてどうなるか。

 2、3日は松本、前橋で中日戦、5日からは神宮でヤクルト3連戦だ。いずれにせよ、
苦しい戦いが続く。もう一度、いまが「我慢! 我慢! 我慢!」と記して最後を締めたい。

(※成績などは1日現在)

柴田 勲(しばた・いさお)
1944年2月8日生まれ。神奈川県・横浜市出身。法政二高時代はエースで5番。60年夏、61年センバツで甲子園連覇を達成し、62年に巨人に投手で入団。外野手転向後は甘いマスクと赤い手袋をトレードマークに俊足堅守の日本人初スイッチヒッターとして巨人のV9を支えた。主に1番を任され、盗塁王6回、通算579盗塁はNPB歴代3位でセ・リーグ記録。80年の巨人在籍中に2000本安打を達成した。入団当初の背番号は「12」だったが、70年から「7」に変更、王貞治の「1」、長嶋茂雄の「3」とともに野球ファン憧れの番号となった。現在、日本プロ野球名球会理事を務める。

デイリー新潮編集部

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