タモリも愛した早稲田「メルシー」が突然閉店 ラーメンは400円から500円に…2代目店主が語っていた苦境

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吉永小百合伝説

――コロナ禍で大学の授業がリモートになり、お客が減った時にもOBが店を支えたという。

小林:家族連れで来てくれたりします。うちに限らず、この辺りではそういうお店は少なくないと思います。ですからコロナ禍で老舗が店をたたんだとはあまり聞かないんです。もっとも、それでも全盛期に比べたら、お客さんは半分程度です。コロナ禍以後は、相席も出来なくなりましたからね。

――メルシーに通ったOB(中退含む)には超名人も少なくない。

小林:タモリさんや堺雅人さん、吉田照美さん、橋下徹元大阪府知事……。橋下さんは府知事時代にも来てくれました。何でも、学生時代はうちのすぐ裏に住んでいたそうです。

――吉永小百合が来たとの噂もある。

小林:当時は、文学部のある南門の近くに店があったからでしょう。伝説だと思いますよ。僕はお目にかかったことがありません。

――ところで、ラーメン店なのになぜ店名はメルシーなのだろう。

あと5~6年かな

小林:ラーメンを出すようになってからは64年ですが、実は戦前に先代の父が喫茶店をやっていて、その店名が「メルシー」でした。最初は“サンキュー”にしようとしたらしいんですが、学生からメルシーのほうがお洒落と言われて、決めたそうです。

――戦後はハンバーガー店になったという。

小林:父が進駐軍で働いていたこともあり、そこで学んだハンガーガーを売ろうとしたんです。しかし、当時はまだ学生さんも知らなかったそうです。

――時代を先取りしすぎたようだ。

小林:それでラーメンや丼もの、サンドウィッチ、かき氷などを扱う食堂になったんです。

――現在の早稲田中学・高校前に移転するにあたり、メニューを厳選して現在の形になった。老舗ならではのエピソードがある。

小林:昨年、かぐや姫のヒット曲「神田川」を作詞した喜多條忠さん(早大中退)が久しぶりに店にいらっしゃったんです。なんでも、脳腫瘍になって手術をして退院したばかりという。「メルシーのタンメン食べたいから、7時間の手術も耐えたよ」とおっしゃっていました。

――その年の11月に喜多條は肺がんで亡くなった。

小林:余命わずかの友人に食べさせるとか、亡くなった同級生の仏前に供えると言って、ラーメンを持ち帰った人もひとり二人ではないんです。

――さすがは64年続いた老舗だ。

小林:父は80過ぎまで店には出ていましたけど、私はあと5~6年てところかな。

――まだまだ頑張って欲しい。

小林:腕やら腰やら、体は痛いとところばかりですからね。従業員だって高齢化していますし、後継者もいません。もちろん、少しでも長く続けたいとは思っていますけど、何より材料費も今後はどうなるか分からないからね。

デイリー新潮編集部

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