中東最強・イスラエル軍の根幹「徴兵制」が揺らいでいる“意外な理由”とは

国際

  • ブックマーク

国民の3割が徴兵免除!?

 何よりも、国民皆兵制度とは言いつつ、実際のところ軍務に就くのは国民の半数超程度とされる。イスラエルの人口のうち、アラブ系が2割、ユダヤ教の戒律を厳格に守る「超正統派」と呼ばれる人たちが1割超いるためだ。アラブ系は多くが「パレスチナ人」であり、兵役免除が可能だ。

 ハマスとの戦争が続く中で、特に大きな議論となっているのが、「超正統派」の徴兵だ。超正統派は軍務に就くことを拒否し、実際に免除されてきたが、免除を可能にする法的根拠が今年4月に失効し、政権を揺るがしかねないほどの政治問題と化している。

 イスラエルには、超正統派を支持基盤とする二つの宗教政党がある。これらの宗教政党は、端的に言えば、パレスチナ問題などの政治問題には関心はなく、安息日における公共交通機関の運行禁止など、戒律に基づいた伝統的・宗教的な生活を維持することが最大の目的だ。徴兵の免除もこれに含まれる。つまり、宗教政党は伝統の維持さえ保証してくれれば、どの政党とも連立政権を組むことができる便利なパートナーなのだ。

 この2政党は現在、ネタニヤフ首相率いる与党と連立政権を組んでいる。そのため、ネタニヤフ首相としては、政権維持のために超正統派の徴兵免除を続けたい。しかし、ハマスによる奇襲攻撃を受けて、軍の拡大が予想される中、超正統派だけが引き続き兵役を免除されるという「不平等感」は、そもそも超正統派の多くが仕事に就かずに宗教勉学に励み、政府からの補助金で生活しているという「社会的な負担感」とも相まって、国民の大きな反発につながりかねないセンシティブな問題なのだ。

世俗派が抱く危機感と不平等感

 想像してみてほしい。自分は世俗派のユダヤ系国民で、命を懸けて数年間の兵役に就き、除隊後は会社で日々働き、戦争が起きれば予備役として再び招集される。かたや超正統派は、日々聖書を読みふけり、仕事には就かず、政府からの補助金で生活する。イスラエルの出生率は3を超え、先進国の中ではトップの水準にあるが、その内実を見ると、超正統派では子供が7人や10人もいるという話もよく聞く。将来の人口割合の変化、すなわち超正統派人口の膨張を考えると、世俗派が抱く危機感や不平等感も理解できるのではないだろうか。

 超正統派の徴兵については、ガラント国防相やガンツ前国防相も「免除されるべきではない」と発言するなど、ネタニヤフ政権への圧力となっている。

経済への多大な影響

 問題はそれだけではない。軍事費や予備役の動員数が拡大することになれば、イスラエル経済には大きな負担となる。これは歴史的に見れば、まさしく1973年の第4次中東戦争(イスラエルでの呼称は「ヨム・キプール戦争」)の後と同じ状況だ。イスラエルは同戦争でも、エジプトからの奇襲攻撃で甚大な被害を受け、戦後、軍の拡大・増強に着手。その結果、経済の悪化を招いたのだ。

 エルラン氏は、「今後、軍備が増強されるのは明らかだが、予算は莫大なものになり、国民経済にも大きな影響を与える。『失われた10年』と呼ばれるヨム・キプール戦争後と同じような経済状況が発生するかもしれない」と経済への影響を懸念する。

 ロシアのウクライナ侵攻を受け、欧州で徴兵制の復活に関する議論が行われ、日本でも中国の覇権主義的な姿勢により、一部で徴兵制復活を求める声がくすぶる。しかし、「中東最強」と謳われてきたイスラエルの徴兵制ですら、大きな過渡期を迎えている。徴兵制の議論は社会や政治とも結びつく極めて複雑な問題なのである。

曽我太一(そがたいち)
ジャーナリスト。エルサレム在住。東京外国語大学大学院修了後、NHK入局。北海道勤務後、国際部で移民・難民政策、欧州情勢などを担当し、2020年からエルサレム支局長として和平問題やテック業界を取材。ロシア・ウクライナ戦争では現地入り。その後退職しフリーランスに。

週刊新潮 2024年6月27日号掲載

特別読物「エリート部隊は就職有利 年金月額80万円も 中東最強『イスラエル軍』の根幹 『徴兵制』が揺らいでいる」より

前へ 1 2 3 4 次へ

[4/4ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。