パリ五輪に熱視線…佳子さまが「テニスの宮さま」と呼ばれる日

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アスリートの素養は十分

 実は2001年から21年まで、20年間にわたり男子プロテニスの世界ランキング20位圏内を維持し「史上最強のプレーヤー」と称賛されたロジャー・フェデラー(スイス)が06年10月に初来日した時に、お忍びで東京・元赤坂の東宮御所(当時)を訪れ、皇太子時代の天皇陛下とプレーをしたことがあった。

 フェデラーが表敬訪問すると、赤坂御用地のクレーコートで一緒にプレーすることになり、ダブルスを組んで1セット、プレーしている。その様子は雅子皇后と長女・愛子さまも観戦され、その後はテラスハウスで昼食をともにしてテニス談義に花を咲かせたとの逸話も残る。

 また小室眞子さん、佳子さま姉妹が実の姉のように慕ってきた叔母の黒田清子さんは2005年11月、東京都職員の黒田慶樹さんと結婚したが、黒田さんは秋篠宮さまのテニス仲間でもあった。黒田さんは秋篠宮さまと学習院初等科からの親友で、小学生の頃から上皇ご一家が住まわれていた赤坂御用地にもよく遊びに来ていた。そのため清子さんにとっても幼なじみのような存在だった。

 黒田さんは学習院大学時代,秋篠宮さまが主宰されていたサークル「自然文化研究会」で秋篠宮さまや清子さんと活動をともにし、卒業後も秋篠宮さまは月に一回,赤坂御用地で友人らとテニスをしており、清子さんが黒田さんに電話をして事前に日程の調整をしていたことが馴れ初めとされる。婚約内定は2004年のこと。翌05年に果たした結婚は、テニスを通じた交流が架け橋となったわけだ。

 幼い頃はアイススケート、その後は、日本の中学校保健体育で2012年に必修化されたダンスに打ち込まれるなど「アスリートの素養がおありになった」(既出の宮内庁関係者)という佳子さま。流れるスポーツウーマンの血は、上皇ご一家に脈々と受け継がれてきたものだ。「テニスの宮さま」と呼ばれる日が来るのは、

「そう遠い未来の話ではないのかもしれませんね」(同関係者)。

朝霞保人(あさか・やすひと)
皇室ジャーナリスト。主に紙媒体でロイヤルファミリーの記事などを執筆する。

デイリー新潮編集部

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