「ステージ4」の下咽頭がん 「死は怖くない」見栄晴が2度、涙した 妻が電話越しに「どうだった?」

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「頑張って」という言葉

 娘の影響で、車の中でSixTONESを聴くようになりました。僕は普段、サザンを聞いているのですが、娘がSixTONESに変えちゃうんです。だから、僕もそのまま聴き続けていたんです。特に「Good Luck! 」という曲をよく聴くようになりました。歌詞が前向きで、嫌なことを忘れて、笑顔で前を向いていこうよ、という内容です。病院に行く時には「Good Luck!」を聴いて気持ちを高めていました。

 こうして、家族のことを話していると涙が出てくるんですが、(闘病生活が)本当に2、3日前のことのように感じます。覚えていることは細かいけれど、4カ月、5カ月経った気がしない。今年はまるで冬がない1年でした。外に出ていないから寒さも知らない。それくらいあっという間の出来事でした。

 その間、「頑張って」という言葉が、すごく効きましたね。生まれて初めてかもしれないです。芸能界にいて、当たり前のように言われてきた言葉ですが、よくわかっていませんでした。でも、今は色んなところで「頑張ってください」と言われ、すごくありがたいです。

 闘病中は、芸能界や競馬界の先輩や友人も支えてくれ、感謝しかありません。

 今年1月下旬にテレビの生放送で、自分の病気を公表しましたが、それまでは、家族、テレビ番組や事務所の関係者以外、誰も知りませんでした。芸能界で知っていたのは、欽ちゃん(萩本欽一)と(中山)ヒデ(中山秀征)だけです。欽ちゃんからは「治るから大丈夫だよ」と言われました。ふざけたことは言わなかったですね。とにかく、「治るから」としか言いませんでした。

 生放送での公表は、反響が大きすぎて……。翌日すぐに、ノリさん(とんねるずの木梨憲武)からメールがありました。ずっとかわいがってもらっていたんです。タイミングがいいのか悪いのかわかりませんが、ノリさんは今年1月クールのドラマで、がんで亡くなるお父さんの役をやっていました。

 ノリさんのドラマが久しぶりだったので、すごい楽しみで、「楽しみしています。観ますね」と伝えていました。それを言っていたからなのか、「私のドラマはダメだけど」とメールをくれて……。とても心配してくれている内容で、こんな真面目なノリさんは、初めてでした(笑)。

治すか、逝っちゃうか

 競馬の関係者にも心配をかけてしまいました。がんを公表した翌日、以前からの予定で競馬場に行きました。友達の馬がレースに出ていたんです。騎手や調教師がみんな不安そうに、「来て、大丈夫なの?」という顔をしていました。(武)豊くんも遠目から、のどに手をあてて「大丈夫?」と言ってくれました。

 明らかに、周りから違う目で見られているなということは感じました。みんなが「ステージ4」という言葉に驚いていたんです。自分は死んじゃう人と思われているんだなと思いました。「まさか、こんな時に、競馬場に来ちゃうんだ」という声が聞こえてきそうでしたね(笑)。

 でも、自分としては、死ぬのは全然怖くなかったんです。あっちには、お袋や親父がいるから。女手一つで育ててくれたお袋とは、ずっと話したいという思いがありました。きっと、笑顔で迎えてくれる。嫁や娘を残していくことは、もちろん寂しいですよ。ただ、自分としては治すか、逝っちゃうか、という気持ちでした。

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 第4回は、手術か抗がん剤治療と放射線治療かを選んだ 見栄晴が人生観、死生観を語る。

見栄晴
1966年、東京都生まれ。15歳の時、テレビ番組「欽ちゃんのどこまでやるの!?」で人気に。1998年から、CS放送「競馬予想TV!」でMCを務める。

デイリー新潮編集部

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