「ステージ4」の下咽頭がん 「死は怖くない」見栄晴が2度、涙した 妻が電話越しに「どうだった?」

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告知された日は忘れない

 今年1月、ステージ4の下咽頭がんであることを公表したタレントの見栄晴(57)。仕事を休んだ3カ月の間、3回の抗がん剤治療、35回 の放射線治療を行った。闘病中も気丈に振る舞ってきたが、2度、涙を流したことがあったという。辛い治療を支えてくれた家族、友人、亡き両親には「感謝しかない」と話す。(全4回の第3回)

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 ステージ4のがんと告知された日のことは忘れないと思います。総合病院で精密検査を受けて、1週間後のことです。担当部長の先生から告げられました。

 当日は晴れていました。午前9時からの診察で、すべての検査や手続き、精算を終えて病院を出たのは午後2時ごろです。病院の自動ドアを出た僕は、真っ先に嫁に電話をかけました。その日は地下で放射線治療の説明を受けたりして、1日、陽にあたっていなかったので、外に出た瞬間、太陽の光が眩しかったですね。

 電話越しに、「どうだった?」と嫁の声が聞こえました。その一言で、現実に戻されて、涙がどーっとでてきた。初めて、ショックを受けた瞬間です。あれだけは忘れないです。無我夢中で現実ではない1日を過ごしてきて、嫁の一言で、「オレ、がんだったんだ」と我に返ったんです。

 嫁も泣いていました。「頑張ろうね」ということを言ってくれました。その後、家に帰ると、高校2年生の娘はまだ帰ってきておらず、どうやって説明するかを嫁と考えました。嫁からは「娘には『ステージ4』という言葉を使わないように」と言われました。ショックを与えないためです。その後、娘に対しては、嫁がうまく説明してくれたようです。

 がんになってから、泣いたのは2度だけです。先ほど話した妻との電話と、娘からお守りをもらった時です。

 入院する前に娘が突然、「はい」と地元・府中にある大國魂神社のお守りをくれたんです。「パパ、頑張って治してね」と言ってくれて……その時は嬉しくて泣きましたね。治療が終わって家に戻ってきて、朝起きて、娘から「パパ、(学校に)行ってくるね」と言われた時は、本当にうれしくなったりしました。

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