「一人の人間として向き合ってくれた」 モデルで作家の前田エマが「ピアノの先生」にいまも感謝する理由

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なぜ家で一度もピアノを触らない私が…

 ファッションモデルとしての活動の傍ら、エッセイや小説の執筆に励む前田エマさん。さまざまなファッション誌やカルチャー誌に日々をつづる彼女が、「もう一度会いたい」と願うのは思春期の長きを共に過ごしたピアノの先生だという。いったい、どんな思い出が?

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 4歳から18歳までピアノを習っていた。先生は同じマンションの1階に暮らしていて、小さなバルコニーで所狭しと、いろんな木や花を育てていた。幼い私の記憶では、祖母よりは若く、母よりはうんと年上の女の人だった。

 私は練習するのがとにかく嫌いだった。最初の頃こそ、母も私をピアノの前に座らせようと努力していたが、毎回ものすごくふてくされ、泣き叫び、部屋から出てこなくなるので、疲れてしまったのか何も言わなくなった。同い年くらいの女の子たちが、ピアノを始めては辞めていった。他の子は毎日練習していて、私よりも何冊も先の楽譜を弾いているのに……。なぜ家で一度もピアノを触らない私が続けているのか自分でも不思議だった。

「エマちゃんは本当にいい子なの」

 先生はずっと一人で暮らしていた。ご近所付き合いが得意そうでもなかったし、子ども好きには見えなかった。真面目な厳しい人で、ちゃんとあいさつをしなかったり、ズルいことをしようとしたり、機嫌が悪くなって物に当たったりすると、私のお尻をビシッと軽くたたくこともあった。しかし、家で練習してこないことや、楽譜がいつまでたってもろくに読めないこと、右と左が覚えられず指摘されてもポカンとしてしまうことに関しては、叱られたことがなかった。そして私のことを他の生徒と比べたりせず、母や近所の人に「エマちゃんは本当にいい子なの」とよく言った。

 ピアノのお稽古は好きになれなかったけれど、前の生徒のお稽古が終わるまでサザエさんの漫画を読んで待ったり、お菓子を出してもらって友達と一緒に食べたり、折り紙のくす玉の作り方を教わったりする時間は楽しかった。先生の家には人形やガラスの置物など見たことのないものがたくさん飾ってあった。

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