「24時間テレビ」が嫌われる本当のワケ 背景に「セクシー田中さん問題」にも見えた日テレの“あしき価値観”が

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24時間テレビの根幹たる価値観「我慢は美徳」が全てのトラブルの元?

 そもそも令和の今、「我慢は美徳」という価値観はもうあしきものとされているのではないか。その変化は、テレビ界に最も影響を与えている。長時間残業やパワハラがはびこるテレビ界の労働環境にはメスが入った。お偉いさんからのセクハラを我慢して勝ち取るデビュー、プロデューサーや脚本家による突飛な改変を我慢して放送されるドラマはおかしいと、テレビ業界の「当たり前」にNOと言える空気が徐々に浸透しつつある。

 かつては権利や尊厳を侵害された側が「我慢が足りない、覚悟が足りない、感謝が足りない」と非難されていたが、今では「しなくてもいい我慢はすべきでない」と言えるようになった。大谷選手らアスリートへの取材も同様で、自宅やパートナーの情報など、スポーツに関係のない話題にまで笑顔で対応する必要はない、という人がほとんどではないだろうか。

 24時間テレビの問題の根幹はそこにある。いまだに「我慢は美徳」から脱却しようとせず、他人にも押し付けているように見えるのだ。マスメディアが作り出す感動は、一人の人間の抵抗感や苦痛に勝るのだと思っていやしないか。あれもこれも視聴者を泣かせるためのサービスなのだという名目を盾にした、傲慢さが透けて見える番組のあり方に、いよいよ疑問が突きつけられている。

 奇しくも今年のテーマは疑問形で、「愛は地球を救うのか?」だという。ただ、誰に向けての疑問なのだろうか。まさか視聴者なのか。勝手に巻き込まないでほしい。「愛」って何を指しているのか。募金額なのか。我慢の程度なのか。「誠意って何かね?」と言った「北の国から」の菅原文太さんを思い出してしまった。

空虚なテーマが生んだ功罪 今年は誰がどんな「我慢」をすることで地球を救うのか?

「愛は地球を救うのか?」という問いは、日テレは世間からの逆風にどれだけ我慢できるのか?という問いに等しい。ならば、いっそ徹底的にやってみたらいいかもしれない。セクシー田中さんのプロデューサーによる再現ドラマ、大谷の新居取材を敢行した記者による、着服事件を起こした元局員へのインタビュー。メインパーソナリティーには再起を懸けるスキャンダル芸能人たち。日テレへの忠誠心すなわち「愛」で苦境に立ち向かう姿は、涙なしには見られないことだろう。

 それは冗談としても、「愛は地球を救う」という抽象的なスローガンだからこそ、視聴者が小難しく考えずにチャリティーに参加できたという側面はある。演出に批判は尽きないとはいえ、注目度の高い番組のおかげで支援が広がった・役に立ったという人や団体が非常に多いのも確かだ。

 24時間テレビの基本姿勢はマスメディアの特性を最大限利用し、思いやりあふれる社会づくりに貢献することであり、番組に寄せられた募金は、福祉・環境保護・災害復興のサポートに活用するという。その崇高な理念は立派で一定の成果を上げたが、そろそろ24時間テレビとは違うやり方で実現できないか、模索すべき段階に日テレは立たされているのではないだろうか。

 すでに水卜アナの謝罪を起点として、今年の24時間テレビは始まっている。メインの出演タレントも内定しているという。今年は誰が、どんな「我慢」を強いられる画を見せられるのだろう。ウルトラマンだって3分が限界なのに、24時間もかけて地球を救う役目を負わされた水卜アナはかわいそうだ。とりあえず、「負けないで」とうつろな目で口ずさむくらいしか、私にはできない。

冨士海ネコ(ライター)

デイリー新潮編集部

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