【追悼】“素顔”も皆に愛された桂ざこば師匠 「近所のおっちゃんみたい」「入りたてのスタッフにこそ声をかけていた」

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 桂ざこばさん(本名・関口弘〈ひろむ〉)は、落語ファンのみならず率直な物言いで広く親しまれた。感情が高ぶると高座で人目もはばからずに涙を見せたこともある。

何をやっても“桂ざこば”

 落語に詳しい放送作家の保志学さんは言う。

「落語の登場人物を演じるというより、役の方がざこばさんに近づいてきて自然に一体になっているかのようでした。理屈ではなく体で捉えて表現していました。ざこばさんのキャラクターを通じて登場人物が浮かび上がる一方で、自分らしさを押し付けない。聴き手を物語の世界にすんなり引き込んでいた」

 高倉健が“何を演じても健さん”と観客の心をつかんだように、“何をやっても桂ざこば”は褒め言葉だ。

 落語評論家の広瀬和生さんも振り返る。

「ざこばさんの『子は鎹(かすがい)』が印象的でした。別れた夫婦が子供の橋渡しでやり直す噺(はなし)です。子供がしっかりしていて親と対等な口を利き、親がはっとさせられる様子など大阪の親子のやりとりが生き生きして人情味にあふれていた。それでも大げさではなく、湿っぽくもならない。落語は演者の個性がそのまま出ます。ざこばさんの温かさ、繊細さ、実直さを感じました」

「ウィークエンダー」で一躍人気者に

 1947年、大阪市生まれ。小学生の時、父親が自裁している。中学卒業から間もない63年に三代目桂米朝さんに弟子入り。米朝さんは後に落語家として初めて文化勲章を受章した。桂朝丸(ちょうまる)と名付けられ、住み込みで家事や子守も手伝う。

 演芸評論家の相羽秋夫さんは言う。

「米朝師匠を亡き父親以上に慕う思いも感じられました。師匠の噺を素直に学ぶ一方、自分の空気を作っていかなあかんと模索を続けた。道路に座りいきなり落語を始めたりもしました」

「ライオンに酒飲ましまんな、どんどん飲ましてトラになりまんな」といった「動物いじめ」の小話で70年代初めから注目を集める。75年に始まった日本テレビ「ウィークエンダー」のレポーターの一人に抜てきされ、一躍全国の人気者に。

 同番組は新聞記事をもとに下世話な事件をレポーターが現地取材、スタジオで臨場感たっぷりに報告する。プロデューサーの細野邦彦さんは当時の朝丸さんのテンションの高さに目をつけ、番組の冒頭部に起用。「こんな悪い奴いてまへんで。無茶苦茶やがな」などと大阪弁でまくしたて、視聴者を一気に引き寄せた。

 低俗番組の代表とやり玉に挙げられながらも視聴率は30%を超え、落語でも客が急増。だが、多忙すぎて30代後半にうつ病になった時期があると自ら語っている。

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