天才少女歌手が挫折を経て「涙そうそう」へ…「歌に救われて自分がいる」25周年を迎えた夏川りみが向かう先

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出会った名曲を「私の声で」

 名曲「涙そうそう」は夏川りみとしてのデビューから3作目のシングル。BEGINが作った曲に森山良子が詞を付け、2001年3月に発売された。BEGINは幼馴染の同級生3人で結成され、夏川とは同じ石垣島の出身だ。

「実は姉と3人は同級生で。私はそこまで親しくはなかったけれど、BEGINのニーニーたちは学生時代からバンドをやっていたので、私がのど自慢荒らしをしていた頃、どこかの場所で歌うときには一緒のステージに上がっていたこともあった」という間柄。

 一旦、夏川が沖縄に帰る直前、毎週末に「石垣ナイト」と称してBEGINが出ていたレストラン・バ―「Wonderful tonight」を訪れ、かわいがってもらっていたという。

 時は流れ、夏川りみとしてのデビューから2枚目のシングル「花になる」で「がんばれ いつの日か花になる」という歌詞に自分自身が勇気づけられながら歌っていた00年。同年の沖縄サミットを前に、BEGINの「涙そうそう」が発売され、同曲に出会った夏川は、「私もこんな歌が歌いたい。私の声で歌いたい」との衝動を抑えられなかった。

 旧知のBEGINが渋谷のライブハウス「B.Y.G」で毎週開いていたライブを訪れ、楽屋へ行き、挨拶。「あの歌ちょうだい」と直談判したという。BEGINは「女の人が歌うのもいいはずな~」と応え、「じゃあ俺たちが作詞作曲でりみの曲、作るからよ~」とバラードの「あなたの風」を作ってくれた。

 レコーディングに際し、カップリングのもう1曲をどうするかという話になり、夏川は「涙そうそう」を歌いたいと何度も訴えた。その熱い思いに、結局「あなたの風」がカップリング曲となり、「涙そうそう」が3枚目のシングルとして選ばれたのだ。

じわじわと売れ続け

 当初は沖縄のラジオ局全てで年間チャート1位を獲得するなど、やはり地元で売れた。「本土にもこの流れが来ればなぁ」と考えていたが、その流れはじわじわとやってきた。有線放送のあらゆるチャンネルで流れるようになり、全国のあちこちで自分が歌う「涙そうそう」を耳にする機会が多くなった。

「すごく嬉しかったですね。(自分の歌が)みんなのところに届いたらいいのに、という思いがかなった」と相好を崩す。

 全国各地、どこに行っても多くの客が詰め掛けた。「誰の歌を聞きに来てるんだろう」とスタッフらに話しかけると「りみちゃんの歌をみんな聞きに来てるんだよ」という答えが返ってくることもしばしば。CBCラジオ(愛知県名古屋市)では繰り返しこの曲が流れ、老舗番組のゲストとして呼ばれることが告知されると、ゲスト当日、鈴なりの客が詰め掛けていたことを鮮明に覚えているという。

 発売は01年だが、オリコンの年間シングルチャートでは、03年の21位を筆頭に、02~04年の3年間にわたり、トップ100に入るなど、長期にわたって売れ続け、多くの人が口ずさむ曲となった。

「子どもの頃からの夢だった」というNHKの紅白歌合戦では 、02~05年に4年連続で「涙そうそう」を歌った。

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