天才少女歌手が挫折を経て「涙そうそう」へ…「歌に救われて自分がいる」25周年を迎えた夏川りみが向かう先

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「この曲がなければ今の私はいない」――。歌手・夏川りみ(50)は自身の代表曲といえる「涙そうそう」について、こう力を込めて語る。幼い頃から歌に親しみ、デビューを勝ち取りながらも、一度は故郷へ帰る選択をした挫折の経験も持つが、今、自身の中には「歌い続ける」という選択肢以外、ないという。

石垣島の天才少女歌手

「小さい子どもが歌うと、大人が喜ぶんです。そんな周りの反応を見てると、もっと歌いたくなって」

 故郷である沖縄・石垣島でそんな風に育った夏川。後に島の秋の風物詩にもなった「ちびっこのど自慢」に小学2年で出場してチャンピオンとなり、「天才少女歌手」と呼ばれた。その後ののど自慢では「ゲスト扱いになっていた」というほどだから、その歌の上手さは推して知るべし、か。

「普段は引っ込み思案だったけれど、歌うときは人が変わったように。歌うのは自分を表現できるから」

 と、親戚から沖縄本島でののど自慢大会があると聞くと本島へ渡るなど、のど自慢荒らしのごとく、各地の大会で話題をさらっていた。

 そんな夏川が1986年、中1で出場したのが「長崎歌謡祭」。ここで史上最年少でのグランプリを獲得し、スカウトされ、中3で上京。高1となった89年、星美里の芸名でシングル「しほり」でデビューした。

歌の上手いネーネーが

「歌手でデビューできたということは一番の幸せだったんです」

 最初のデビュー当時をそう振り返る。ただ「子どもの頃のように、周りの大人がいいね、いいね、と喜んでくれていたような雰囲気でもなく、『あれ? 違ったのかな? 私じゃないんだ』という思いもあった」と打ち明ける。

 90年、92年と各1枚のシングルを出したものの、ヒットには恵まれず、96年には沖縄本島に暮らす姉のもとへ。那覇市で店を開いていた姉の手伝いをするようになった。だが幼少時と同様、ここでも夏川の運命を切り開くきっかけとなったのは歌だった。

「あの店には歌の上手いネーネーがいるよ」

 こんな噂が流れるようになったといい、夏川の歌を目当てに店に来る客が増えていった。

 客が歌う沖縄民謡を覚えて歌ったり、当時、沖縄から人気になった安室奈美恵、SPEED、Kiroroといった歌手の曲、あるいは洋楽の曲をリクエストされたり……。そんな状況が、再デビューの道を開く。99年、「夏川りみ」としてのデビューが決まり、シングル「夕映えにゆれて」で再び表舞台に乗り出した。

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