阪神・岡田彰布、逆転満塁弾で“天覧試合”の雪辱を果たす…30年越しのリベンジに成功した“劇的G倒弾”
試合前日に「美空ひばり」が他界
1959年6月25日、後楽園球場でプロ野球史上初の天覧試合、巨人対阪神が行われ、4対4の9回裏、長嶋茂雄が村山実から劇的なサヨナラ本塁打を放ったシーンは、今なお伝説として語り継がれている。それからちょうど30年後の1989年6月25日、今度は甲子園球場を舞台に“伝統の一戦”が行われ、これまたファンの記憶に残る名勝負となった。【久保田龍雄/ライター】
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くしくも天覧試合から30年後の同じ日に、阪神VS巨人の対決が組まれた。かたや30年前、長嶋にサヨナラ弾を打たれた村山、こなた30年前に完投勝利を挙げた藤田元司が両チームの監督を務めるという不思議なめぐり合わせにも、因縁めいたものが感じられた。
だが、当時の新聞には、「今日、天覧試合から30年後の因縁対決」のようなファンの興趣をかき立てる見出しは見当たらない。
それも道理。前日、首位・巨人は阪神を3対1で下し、リーグ最速の40勝をマークしたのに対し、4月から借金生活が続く阪神は、巨人に17.5ゲーム差の5位と低迷しており、伝統の一戦といっても、やや盛り上がりを欠いていた。
また、前日の6月24日には、国民的歌手・美空ひばりが52歳で他界しており、新聞は“戦後歌謡界の女王”の早過ぎる死に紙面の多くを割いていた。村山監督も「戦中派の私はひばりさんの歌を聴いて心和んだことが多かったので、非情に残念です」と哀悼の意を表している。
「巨人に点をやらないことだけを考えた」
だが、世間からさほど注目されずにプレーボールとなったこの日の一戦は、30年前に悔しい思いをした阪神ファンの溜飲が下がるような劇的な幕切れになった。
巨人・ガリクソン、阪神・仲田幸司の両先発で始まった試合は、1回裏、阪神が4番・フィルダーのタイムリーで1点を先制する。
巨人も4回に篠塚利夫の安打を足場に、左腕・仲田の先発を読んで6番に起用された井上真二が左越えに逆転2ラン。7番・岡崎郁も右越えソロで続き、3対1と突き放した。
これに対し、阪神は2回以降、6回までガリクソンの前に散発の2安打に抑えられ、7回1死から真弓明信が左前安打で出るが、中野佐資が強引に引っ張って二ゴロ併殺と打線がつながらない。
8回に暴投で4点目を失ったときには、勝負あったかに思われた。だが、なおも満塁のピンチで3番手・猪俣隆が「あの場面は、どんな形でもいいから、巨人に点をやらないことだけを考えた」と山倉和博を捕邪飛に打ち取り、失点を許さなかったことが、その裏のドラマの大きな伏線となる。
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