【叡王戦第5局】敗れた藤井聡太は「チェスクロックでの時間の使い方に課題」早指しに少し狂いが出たか

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精いっぱいの笑顔

 藤井がタイトル防衛戦で最終局にもつれ込まれたのは初めて。伊藤は昨秋から藤井に、竜王戦、棋王戦と挑み、叡王戦は3つ目のタイトル挑戦だった。

「藤井さんという同い年のライバルをどう思いますか」と記者に訊かれると、伊藤は「まだライバルとまでは。強い藤井さんを目指してきた」と謙虚だった。

 伊藤の師匠の宮田利男八段(71)に電話すると「ちょっと苦しいかなと思っていましたが、終盤になって、あれ、いけるかなと思いました。よく頑張った。道場で生徒たちと中継を見ていましたが、みんな大喜びでした」と話した。

 伊藤の記者会見の様子を見ていると、勝ったのに硬い表情に見えた。どこまでも生真面目な性格なのだろう。そのことを宮田八段に伝えると、「いやいや、あれでも伊藤にしたら精いっぱいの笑顔なんですよ」と言う。

会場のホテルは「ありがたかった」

 今回、大舞台となった常磐ホテルは1957年に王将戦が行われたことを嚆矢に、囲碁や将棋で数々の名局が繰り広げられた老舗である。

 しかし、将棋のタイトル戦ではシリーズ前半の対局場になることが少ない。そのため、21年の竜王戦第7局、22年の名人戦第6局、王座戦第5局、竜王戦第7局、23年の名人戦第6局、王座戦第5局、竜王戦第7局の計7局が常磐ホテルでの開催が予定されていながら実現しなかった。藤井があまりにも強すぎて、そこへ至る前にさっさとタイトルシリーズを終幕させてきたからだ。藤井がここで対局したのは、第6期叡王戦以来だった。

 万全の準備をしながら「空振り」の悲哀を舐めてきた常磐ホテルの小沢行広営業部長は「昨年も王座戦の第5局がここで行われる予定だったのですが、京都での第4局で藤井さんが永瀬さんを下して八冠を達成してしまい、ここが使われることがなかったんです。残念と言ってはいけないのかもしれないんですけど。今回はありがたかった」と話した。

 今回、ホテル関係者の喜びもひとしおだが、これも王者を相手にフルセットまで持って行った伊藤の恩恵だった。
(一部敬称略)

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に『サハリンに残されて』(三一書房)、『警察の犯罪――鹿児島県警・志布志事件』(ワック)、『検察に、殺される』(ベスト新書)、『ルポ 原発難民』(潮出版社)、『アスベスト禍』(集英社新書)など。

デイリー新潮編集部

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