中村芝翫の不倫同棲に「僕のことかと…」2年に及ぶ浮気生活を続ける50歳夫の告白“妻が変貌した瞬間”

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伯母に紹介された、10歳年下の瑠璃さん

「35歳のときに70代前半だった伯父が病気で亡くなりました。伯母はひとりきりになったけど元気そうだった。四十九日のときだったかなあ、『今度、紹介したい人がいるの』と言いだして。結婚はしないよと言ったんですが、伯母が『とりあえず食事だけしましょ』と連れてきたのが10歳年下の瑠璃でした。知り合いの娘さんだということで。わざわざ東京までふたりで来たんですよ。25歳の女の子が10歳も年上の、しかも金持ちでもイケメンでもない僕と会うなんて、冗談だと思ったんです。もしくは伯母に強要されたか。でもなぜか彼女は僕の写真を見て会いたいと思ったって。変わった女性だなと思いました」

 見合いのように会ってみても何を話したらいいかわからなかった。だが、瑠璃さんのほうが会話をリードし、気づいたら彼は気持ちよく話していたという。瑠璃さんは7歳のときに父親を亡くし、その後、母親の再婚相手と養子縁組をしていた。継父は優しい人ではあったが、実父の記憶が鮮明にあるだけに内心、比べたり遠慮したりしてしまう。結果、継父に心の内を明かすことがないままに高校を卒業、地元から離れた大学へと進学した。博喜さんの伯母は、たまたま公園で犬を散歩させていた瑠璃さんの母親と知り合ったそうだ。

「なぜかあの子のおかあさんとは気が合ってね。うちの人が亡くなったときも瑠璃の母親は毎日うちに来て私を慰めてくれたのと伯母は言っていました。たまたま僕のことを話したら、瑠璃に合いそうだということになったみたいです。どうしてそういうマッチングをしようと思うのかが不思議ですが、ふたりの妙なカンが働いたんでしょうか」

 何かに導かれるように博喜さんは瑠璃さんと結婚した。瑠璃さんは仕事を辞めたくないと言い張り、勤務先に東京への転勤を申し出た。それが認められるまでの半年間、ふたりは遠距離結婚となったが、その間にかえってふたりの絆は深まったという。

「瑠璃はしっかりしているんです。これからのふたりの短期ビジョン、中期ビジョン、長期ビジョンなどもメールやLINEで送ってきて意見を求める。それがけっこう冗談半分というか自由な発想でおもしろかった。僕が定年になったら、ふたりでキッチンカーをやるのが彼女の夢だったんですよ。理由は自分の職場近くにおいしいランチの店がないから。彼女はいつも楽しそうだった。そしてそういう彼女を見ているのが楽しかった。夫と妻という関係性ではなく、自由で楽しい女の子を見守る兄みたいな感じでしたね、最初は」

「ついていけない何か」を感じた

 なぜかなかなか子どもには恵まれなかった。だがふたりとも、子どもを授かるための治療を受ける気にはなれず、週末はそれぞれ好きなことをしながら、時間が合えば一緒に過ごした。

「瑠璃はなぜか古い映画が好きでしたね。モノクロのフランス映画とか。彼女、写真を撮るのも好きだったけど、いつもモノクロで撮ってた。写真の腕は勤務先でも重宝されていて、念願の広報に異動してからはよく撮影に駆り出されるって言ってました。ふたりとも仕事が充実していたから、特に子どもがほしいとも思わなかったんでしょうね」

 ふたりとも情熱的な愛情表現はしなかったが、傍らにお互いがいるのが当然になっていった。博喜さんが出張で家を空けると、瑠璃さんはひどく寂しがった。いつの間にか、なんとなく複雑な思いで見ていた両親と似たような夫婦になっていると博喜さんは感じていたという。そして5年がたったとき、突然、瑠璃さんが言った。

「子ども、できたよって。もうできないものだと思っていたから、ビックリしました。じわじわとうれしいような怖いような気持ちになって……」

 だが瑠璃さんをチラリと見ると、彼女はすでに「母親の顔」になってお腹を撫でていた。女性のあまりに早い変貌に「ついていけない何か」を感じたと彼は言う。だが逃げるわけにはいかなかった。結婚したのだから。

【後編】では、幸せな結婚生活を捨て、なぜ博喜さんが不倫相手との同棲生活に踏み切ったのかに迫る。

亀山早苗(かめやま・さなえ)
フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。

デイリー新潮編集部

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