欧州議会選挙 フランスの右翼「国民連合」はなぜ第1党になったのか

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仏政治地図の空白に入った極右

 そこで台頭したのが、極右のジャン=マリー・ルペンが率いる国民戦線(FN。RNの前身)である。1989年の大統領選挙では約15%の得票率となり、やがて欧州議会にも進出した。

 大統領候補が娘のマリーヌ・ルペンに交替した2012年からは、「脱悪魔」という穏健化路線を推進して極右色を消した。EU離脱は言わなくなったし、NATO離脱もトーンダウンした。

 さらに、社会党内閣の閣僚ながら自由経済派であるマクロンが2016年に中道派結集の新政党(日本でいえば国民民主党と公明党と維新と自民党の宏池会、それに環境派を糾合したような党)を創り、2017年には大統領に当選、2022年には再選した。決選投票の相手はいずれもマリーヌ・ルペンだ。

 このため、右派の共和党も不振となり、左派では、社会党が弱体化し、共産党は消滅寸前で、ポピュリスト的な「不服従のフランス」が台頭した。

 今回の欧州議会選挙でRNは31%を獲得して30議席(7増)と、大統領与党13議席(10減)や社会党13議席(7増)、不服従のフランス9議席(3増)、共和党6議席(2減)を大きく引き離した。

 一方、ドイツでは、社民党がシュレーダー首相のときに保守化したので、2005年に社民党左派や旧東独与党から「左派党」が生まれた。また、ユーロ導入と移民の増加をコール首相やメルケル首相が推進したのに反発して「ドイツのための選択肢(AfD)」が2013年に設立された。

 いずれも国会でも議席を獲得し、今回の欧州議会選挙ではCDU・CDSが30%で29議席(増減なし)、AfDは16%で15議席(4増)、社民党14議席(2減)、緑の党12議席(9減)、ポピュリストの極左新党「ザーラ・ヴァーゲンクネヒト同盟(BSW)」6議席、自民党5議席(増減なし)、左派党3議席(2減)、その他11議席だった。

 緑の党は、デアボック外相がウクライナ紛争で極端にタカ派色を出したのと、化石燃料を使う暖房設備の設置禁止など極端な政策が禍した。

EU統合がもたらした豊かさと暴走

 EUでは、シェンゲン協定による国境の開放が1995年から始まった。統一通貨ユーロは1999年から会計通貨に、2002年からは同通貨の紙幣とコインも使用開始となり、各国は厳しい財政規律を求められた。

 結果、移動は自由だし、どこでも働けるようになった。物価は安くなり消費生活も改善された。各国は愚かな支出ができなくなったが、政府に予算要求しても健全財政の壁を勝手に越えられなくなり、人々はブリュッセルの官僚たちに民主主義が乗っ取られたと感じた。

 統合は人々を豊かにしたが、理想主義が暴走して、かえってコスト無視になったり、安全が損なわれたりすることも多かった。厳しすぎる環境規制はコスト上昇になる。食品安全規制のせいで伝統産品の製造が禁止され、移民や難民の増加は治安を脅かす。

 加えて労働者保護や年金が手厚いフランスは、マクロン大統領がこれをドイツ並みにしようとして左右両方からの抵抗が起きた。農業大国だけに食品流通の自由化への抵抗も大きい。

 ドイツはロシアの天然ガスをパイプラインで輸入し、エネルギー価格の上昇を招かずに環境対策を進めてきたが、ウクライナ紛争で輸入をストップさせられた。

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