欧州議会選挙 フランスの右翼「国民連合」はなぜ第1党になったのか

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欧州統合派の目指す路線

 欧州議会選挙(6月)で極右が躍進し、フランスではマリーヌ・ルペン(ル・ペン)氏の国民連合(RN)が第一党になった(現党首はジョルダン・バルデラ)。政権与党が軒並み不振だったなかで大躍進したのは、メローニ首相を出す「イタリアの同胞」(極右でファシストの系統)だけだった。

 欧州連合(EU)はベルギーのブリュッセルに事務局があり、欧州議会はフランスのストラスブール、欧州裁判所はルクセンブルクと分散している。欧州中央銀行はドイツのフランクフルトでライン川沿いの仏独国境、カトリックとプロテスタントの境界に位置する。

 欧州議会は5年任期で、国ごとの比例代表。最低は6議席で、最大はドイツの96議席だ。極右・環境派・左派を排除して、ドイツのCDUなど保守派の「欧州人民党(EPP)」、マクロン大統領与党など中道の「欧州刷新(Renew)」、ショルツ首相のドイツ社民党の「社会・民主主義進歩連盟(S&D)」の三者連合で主導権をとっている。

 彼ら欧州統合派のめざすのは、(1)欧州統合の深化と自由貿易、(2)NATOの重視とウクライナ支援や中国への警戒、(3)移民・難民への寛容と断固としたテロ対策、(4)財政規律の維持とそのための年金制度の改革、(5)地球環境問題への取り組み、(6)新型コロナワクチンの半強制的な接種、(7)LGBTや中絶に見られる穏健リベラルの社会・宗教観、などだ。逆に言うと、極右や左派はこのような路線に懐疑的なのである。

仏独の右派と左派

 政党を右派と左派という言い方で分類するのはフランスから始まった。

 フランス革命時の王党派と共和派の対立が起源だが、20世紀後半、フランスではドゴール派が右派、社会党と共産党が左派で、ほかに極右、中道派、極左が小勢力としてあり、のちに環境派も伸びた。決選投票で決まる小選挙区二回投票制なので、極右は支持率が高くとも議席獲得は難しかった。

 ドイツではワイマール共和国時代の中道右派諸政党がキリスト教民主党(CDU)として糾合され、社民党が左派を代表した。ナチスと共産党は禁止され、中間政党として自由民主党があった。比例代表制だが、得票率5%未満は議席がとれないので小政党は存在感がなかった。

 また、欧州には右にも左にも大衆迎合のポピュリスト政党が多く、反エリート、反グローバリズムや反欧州統合、中小企業保護、反腐敗、直接民主主義、減税などを主張してきた。フランスでは農民や商店主などによる暴動も盛んなため、社会的にも大目に見られていた。

 右派の場合は反移民が主要な主張になってきたが、多くの場合は二大政党を脅かすものではなかった。しかし、冷戦終了のころから状況が変わってきた。

 フランスでは1958年のドゴール復帰から、愛国主義のドゴール派(現共和党)と社共など左派の対立となり、ドゴールは国民投票を好んで不満のはけ口にしていたのだが、1970年代後半からドゴール派やそれと共闘する中道派(ジスカールデスタン大統領)の連合が欧州統合推進にまわり、やはり欧州統合推進派の社会党(ミッテラン大統領)と中道票を争ったので、政治地図の右側に空白ができた。

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