「天才少女」に訪れた最初の試練は「新たな天才少女」の出現だった 5試合連続負けから“テニスの女王”に返り咲いたクリス・エバートの「執念」

  • ブックマーク

 クリス・エバートは1970年代から80年代に君臨した「テニスの女王」。70年から89年まで四大大会決勝に34回進出(歴代最多)、18回制覇。全仏オープン優勝7回、全米オープン4連覇も最多記録だ。多くの企業の広告塔を務め、「女性アスリートで男子をしのぐ巨額契約を得た先駆け」とも語り継がれる。

 クリスにはライバルのナブラチロワや次代を担ったウィリアムス姉妹らと比べ大きな違いがあった。それは「見た目にすごい武器がない」という弱みとも思える特徴だ。サービスのスピード、ストロークの威力は他の選手と同程度。目立つ唯一の違いはバックハンドを両手で打つこと。これはクリスがコートに持ち込んだ革命的な技術だ。ストロークの正確さ、粘り強さ、勝利への執念は並外れていた。

 加えて徹底したポーカーフェイス。アイス・ドール(氷の人形)と形容されたのは、コート上で表情を変えなかったからだ。アイス・ドールを貫くことは、女王であるための最大の武器だった。それは幼い頃からクリスを指導している父ジミー・エバートの教えだ。ドキュメンタリー番組「Biography」で後年クリスが回想している。

「試合中カッとなった私に父が言いました。腹が立っても相手に見せちゃいけない。表情に出さなければ逆に相手をイライラさせ、結局は自分が有利になる」

キング夫人も警戒

 クリスの最初の覚醒は、15歳の時。無名の彼女がノースカロライナ州の大会に出た。親友と二人で出かける初めての遠征旅行。

「親がいない旅行は初めてだから、前の晩は夜中の1時半まで起きていました」

 開放的な気分でプレーしたクリスは勝ち進み、女子で史上2人目の年間グランドスラムを達成したばかりのマーガレット・スミスと対戦。7-6、7-6で倒してしまった。15歳の少女が得意のクレーコートで演じた快挙は人々を驚かせた。60年代にウィンブルドン3連覇を飾り、女子テニスの地位向上の先頭に立っていた当時の女王ビリー・ジーン・キングもその一人だ。

「私は報せを聞いてクリスの名を頭の隅に置きました。そして71年の全米オープン1回戦でクリスがメアリー・アン・アイゼルと対戦する試合を見に行きました」

 初めての四大大会出場。世界4位のメアリーに6回マッチポイントを奪われながら諦めず、逆転勝ちした。キング夫人が言う。

「クリスは必ずスーパースターになると確信しました」

 17歳のクリスは準決勝でそのキング夫人と対戦。スコアこそ3-6、2-6で敗れたが、激しいラリーの応酬になった。マッチポイントでキング夫人がバックハンドボレーをクロスに決めた瞬間、両手を頭上に掲げて手を合わせ、安堵の喜びでネットに頭を垂れた姿が、新星クリスが与えた脅威を物語っている。

次ページ:天才少女に敗れるも

前へ 1 2 次へ

[1/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。