ラジオ局の謝罪で波紋…「鶴光の下ネタ」すら許さない日本社会と「お政治オバチャン」の増加

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 笑福亭鶴光がラジオで披露した替え歌に関して、放送局が謝罪した一件が波紋を呼んでいる。あの鶴光すら政治的正しさの前には姿勢を変える必要があるのか――音楽ライター、神舘和典氏はかつての放送禁止楽曲に関するエピソードが頭に浮かんだという。

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「不快」と言ったのは誰なのか

「あまりに低俗であり、公共の電波で流すには著しく不適切なものでした」

 6月17日、ニッポン放送は落語家、笑福亭鶴光さんがパーソナリティを務めるラジオ番組「鶴光の噂のゴールデンリクエスト」内での替え歌について謝罪した。

「当該放送を聴かれて不快に思われたリスナーの方もいらっしゃると思います。何より、往年の名曲を手掛けられた作曲科の都倉俊一先生、作詞家の阿久悠先生をはじめとするご関係の皆様に多大なご迷惑、ご不快をかけるものでした。また、番組の出演者の皆さまにもご迷惑をお掛けしてしまいました」

 当然ながら、どういう歌詞でどこが問題なのかは示されていないのだが、鶴光さんなので下ネタの類だということは衆目の一致するところだ。

 元歌があり、そこから下ネタの歌詞をつくって電波で披露してしまったという意味では、確かに作者や歌手に失礼にあたるだろう。扱われた側も不快に感じるかもしれない。彼らが抗議したというのならば、理解できないわけでもない。

 しかし、謝罪文の最初に「不快に思われたリスナー」とあるのは引っかかる。

 低俗については、感じ方には個人差があるので、何とも言えない。同じ番組を聴いていて、不快になるリスナーもいれば、楽しんでいる人もいるだろう。ラジオというメディアは大人が一人で聴く文化が主なので、幼い子どもに聴かれるリスクは大きくはない。

 ただし、こういう時に過敏に反応している人の多くは低俗と判断し、ダメダメダメと、自分の価値基準でネットにネガティブな発言を書き込む傾向がある。その威力は増すばかりだ。

 個人的には、いやなら他の番組を聴けばいいのに、と思う。そもそも1970~1980年代の「笑福亭鶴光のオールナイトニッポン」のころから、鶴光さんの番組を聴くのは不道徳・不謹慎なものを求めるリスナーのはずだ。しかし、こういう見方もまた不謹慎とされるのかもしれない。コロナ禍には自粛警察と言われる人たちがいたけれど、もう少しおおらかになれないだろうか、と思うのもまた不謹慎との批判を受けかねない。

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