「あなたはオンリーワンです」 大月みやこが60年の歌手生活で嬉しかった有名人からの手紙

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ようやく出会ったヒット曲

 デビュー10年になろうとしていた73年、慣れ親しんだキングレコードを離れ、ビクターに移籍。だが5枚のシングルを出した後、再びキングレコードへの“出戻り”を果たした。そこでそれまでの思いに変化が生じる。

「曲をどういう風に歌うか。それまでは自分が一番幸せに歌えればいいと思っていたんです。でもキングに戻ってから新たなスタッフ陣に変わり、指摘されました。『歌えて幸せ、気持ちいいのは大切だけれど、みんなが一生懸命作った歌で一人だけ幸せなのはいけない。聴いてくれる人にどう届けるのか』ということです」

 そんな気付きを与えられた大月が、ようやく出会ったヒット曲が83年8月発売の「女の港」だった。とはいえ発売当初からヒットしたわけではない。

「カラオケが一般に広がっていた時期ですが、私の曲はなかなか難しくて」

 女心を切々と歌うこの曲が発売から2年ほど経って、少しずつカラオケでも歌われるようになってきた。しかも男性が大月の曲を歌うケースが多かったという。

 キング復帰後のシングル発売ペースはゆったりしたものになっていた、それでも「女の港」の発売後、翌84年にシングルの発売はなかった。この曲が売れるまでに期間を要した一方で、新曲は出さずに、この曲へかける意気込みが表れた期間ともいえる。

 各地でのキャンペーンも行った。それでも「売るためだけのキャンペーンはやらずにお断りしたんです」と明かす。

 地方などを訪れ、夜の盛り場でスナックなどを回り、レコードを手売りする、いわゆる“夜キャン”。そこで曲を歌うと、酔客が時に100枚単位でレコードを買い、知り合いらに配ることもあるなど、やれば確実に枚数が売れるキャンペーンの一つだった。

「夜キャンが盛んに行われるようになって、やったほうがレコードが売れることは分かっているし、そこからヒット曲が生まれた例もありますが、私のスタンスは『聴いてから、いい曲と思ったら買ってください』ということ。そこは譲れなかった」

紅白、レコ大は「経験」

「女の港」のヒットで、86年にNHK紅白歌合戦に初出場を果たす。以後、出場は10回を数えた。

 一方、92年に発売した「白い海峡」は、奈美悦子主演のドラマ「許されぬ唄」の主題歌としてヒット。同年の日本レコード大賞で「歌謡曲・演歌部門」の大賞を受賞した(「ポップス・ロック部門」の大賞は米米CLUB「君がいるだけで」)。

「これは経験です。経験できたことで、その空気を感じられ、栄養や知識を得た。それが果たせなかった人生と対比すれば、違いがあったかもしれないけれど、紅白やレコ大を目指していたわけではないから」

 あっさりと語る。ただ87年に「女の駅」で受賞したレコ大の最優秀歌唱賞については「歌唱を評価してもらえたので。いただけてありがたかった」と笑顔を見せる。あくまでも歌に邁進してきたことへの自負がそこにはあった。

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