「あなたはオンリーワンです」 大月みやこが60年の歌手生活で嬉しかった有名人からの手紙

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 1964年のデビューから今年6月20日で満60年を迎えた演歌歌手、大月みやこ(78)。「歌い続けてきただけ」と言いながら、それだけでは厳しい荒波の中で60年も生き残ってこられないのは確かだ。「歌手としての生き方は間違ってなかった」と語る大月が、歌い続けられたワケとは――。

高校に上がる際、肺浸潤と診断

「歌手になりたいがためではなく、好きな歌をやめようというきっかけが欲しかったんです」

 そもそも歌が好きで、幼少時から童謡を習っていた。ただ「ラジオをつければ歌謡曲が流れるような時代。子どものくせに『童謡なんかもうイヤ。歌謡曲を習って歌いたい』と生意気に言ったりして」。そんな娘の願いをかなえようと、両親は地元の「大阪歌謡学院」に通わせた。

 同学院は楽典などの基礎からみっちり教える本格的な養成所。「しかも休むと怒られるから、一生懸命やるんです」。このときにプロ60年の基礎が積み上げられたことは想像に難くない。

 小学校時から結核菌感染の有無を検査するツベルクリン反応の結果が芳しくなく、無理な運動を控えていたが、高校に上がる際、わずかに肺に陰影が認められ、肺浸潤と診断される。

「当時は肺結核になる一歩手前のような病気で。もうこの世は闇、青春なんてないと感じましたね」

 1年間の転地療養を経て浪人して高校に入ることも検討されたほど。結局、浪人はせずに高校へ入学した。「体育は毎回見学するだけで、歌うこともやめなさいといわれたけれど、歌がないと何もなくなってしまう。今思えば、歌えることは学生時代の楽しみだったからそれがよかったのかも」と振り返る。

「諦める」ためのテストに合格し…

「歌手になりたいという思いはなかった」というが、歌謡学院でみっちりと鍛えられたことについては「基礎からやったのがよかったのかどうかですが、結論的にはよかったのでしょうね」と話す。

 そんな折、歌謡学院を通じてデモテープが送られたキングレコードから「テストを受けてほしい」との話が舞い込む。高校2年生だった。

「歌謡学院には歌手志望の人も多かったですが、私は歌手になろうとは思ってなかった。歌うのをやめるきっかけとして、テストを受けたので」

 ところがこのテストに合格して上京することに。当初は「すぐにデビューできると思ってもらったら困る。作曲家の先生についてレッスンを受けてもらう」という話のはずだったが、いきなりレコーディング、そしてデビューすることになる。

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