源氏物語を解説したマンガが「発売23年で異例の40刷」一体、何がスゴいのか? 著者に聞いた制作秘話

エンタメ

  • ブックマーク

光源氏を栗のキャラクターにした理由

 さて、このようなユニークな、しかも足かけ23年にわたって増刷がつづく“源氏マンガ”は、どのようにして生まれたのだろうか。さっそく、著者・小泉吉宏さんにうかがった。

「刊行(2002年)の6年くらい前だったでしょうか、『ブッタとシッタカブッタ』のファンだという幻冬舎の編集者さんから、新しい仕事ができないかと、お手紙をいただいたんです。しばらくして、マンガ版『源氏物語』のサンプルを10頁ほどお見せしたら、とても気に入っていただけて、本格執筆に入りました」

 もともと、特に『源氏物語』マニアというほどではなかった。

「高校の時、古典の授業で〈夕顔〉を知り、死のシーンがホラー映画みたいで面白いなあと興味をもった記憶はありますが、せいぜいその程度でした。しかしその後、時々読み返してみると、光源氏って男はプレイボーイの代表格みたいに思われているけれど、どうもおかしな奴だと気になるようになってきたんです。物語の後半もあまり知られていないし、だったら、『源氏』全体をわかりやすく1冊にマンガでまとめたら面白いのではと思い、サンプルを描いてみたんです」

 それにしても、その光源氏(まろ)が、栗(マロン)の顔でキャラクター化されたのは、いったいどこから……?

「まろ=栗(マロン)で、コトバ遊びのようですが、実は以前に、あるお菓子メーカーで商品開発にかかわった時につくっていたキャラクターなんです。僕は栗が好物なので、マロン味のお菓子にしたいと思いまして。ただ、諸般の事情でその企画は中止になったので、キャラクター案だけ取っておいたんです。それを復活させました。まろが茶色の“栗”なので、ライバルの頭中将は緑色の“枝豆”にしました。これなら、生まれた子が栗顔か枝豆顔かで、父親が誰かもはっきりわかるじゃないですか」

 制作には、まる3年かかったが、その間、ほかの仕事は一切入れなかった。

「文章の方は、原文と、逐語訳の谷崎潤一郎訳を参照しました。さらに、衣裳 などの時代考証に時間をかけました。実は最初は、土佐派の源氏絵を参考にするつもりだったのです。ところが土佐派の絵は、室町時代以降に描かれたものです。そのため衣裳などが思ったより正確ではなかったんです。そこで、あらためて平安時代の衣裳を調べました。たとえば、当時の喪服なども、死者が出た場合、周囲のどこまでのひとが喪服を着用するのかにも、いろいろ決まりごとがありました」

 そして、京都まで取材に行ったという。

「〈胡蝶〉の頁で、女童〔めのわらわ〕たちが鳥や蝶に扮して踊っている小さなカットがあります。ここは最初、別の色で描いていたんです。ところが、京都の博物館へ取材に行ったら、ちょうど、こういう衣裳の当時の染め方が判明したとかで、それに合わせた展示がありました。そこであらためて描きなおしました」

 実は、初刊の2002年当時は、まだ現在のようなデジタル入稿はできなかった。担当編集者の菊地朱雅子さんが語る。

「本書のデザインは、日本を代表するグラフィック・デザイナー、祖父江慎さんによるものです。カバー袖の幅が前と後ろでちがうなど、とてもユニークで美しいデザインにしてくださいました。しかし当時、祖父江さんはMacによるパソコン画面上でデザインをされていましたが、印刷所への入稿はまだアナログだったのです。小泉さんの原画に、祖父江さんの“指定紙”を添えて入稿し、フィルム版下をつくっていました。いまだったら、DTPによるデジタル・データを印刷所へ送信すれば、それで入稿完了ですが……」

 最近、当時の指定紙が“発見”され、菊地さんも小泉さんも「祖父江さんは、こんな細かい作業をやってくださっていたのか」と、感慨に襲われたという。

「しかし、さすがに20年以上も増刷がつづく と、フィルム版下が傷んできました。印刷所から“もう限界です”と泣きつかれるようになり、ついに39刷からデジタル版下に変換しました」(菊地さん)

次ページ:読まないと分からない最大のナゾ

前へ 1 2 3 次へ

[2/3ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。