「私はただのオールド・マンだよ」プロレスの神様「カール・ゴッチ」が藤波辰爾を誘って動物園に行った理由

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ゴリラを見てプロレスの技を考える

 練習が休みの日は「動物園行こう」と誘われた。「どうして動物園?」と藤波は不思議に思ったが、ゴッチの目的はゴリラだった。

 あれだけの大きな体をしているのに、檻にぶら下がって自由自在に動き回る。その姿を見て、ゴッチはこう言ったそうだ。

「片腕で自分の体を支える力と肩の柔らかさ。もともと私たちもあれだけの身体能力があったはずなのに退化してしまった」

 ゴリラを見ながらプロレスの技を考えてしまうとは、何だか業の深さすら感じてしまう。

 ゴッチの訃報をもちろんスポーツ紙は大々的に報じたが、一般紙はどんな扱いだったか。朝日新聞は2007年7月31日朝刊の第1社会面で報じた。だが、いわゆる一番小さなベタ扱い。写真すらなかった。「おいおい、それはないだろう」と私は思ったが、当時、北海道の稚内支局に勤務していたこともあり、東京本社の編集方針に声を上げるのは難しい環境にあった。いずれにしても、記事はこんな感じである。

《カール・ゴッチさん(元プロレスラー、本名カール・イスタス)28日(現地時間)、米フロリダ州タンパの自宅で死去。82歳。死因は不明。29日、日本の格闘技関係者に連絡が入った。/ドイツ・ハンブルク出身。「プロレスの神様」として日本のファンに知られ、「鉄人」故ルー・テーズと並ぶ実力派レスラーだった。得意技はジャーマン・スープレックス・ホールド。61年、日本プロレスに初来日。72年、アントニオ猪木の新日本プロレス旗揚げに協力した。猪木や藤波辰爾、前田日明、佐山聡ら日本のプロレスラーも指導した。最近は藤波の主宰するプロレス団体、無我ワールドの名誉顧問を務めていた。》

 やっぱりアッサリした文章だなあと思う。故人を偲ぶ「惜別」すら弊紙にはなかった。

 没後10年の2017年7月28日、ゴッチの墓が東京・荒川区の回向院に建立され、「カール・ゴッチ墓石建立プロジェクト実行委員会」代表発起人であるアントニオ猪木、藤原喜明(75)、木戸修(1950~2023)らが参列する中、納骨式が営まれた。

 日本が大好きだったゴッチも、あの世でとても喜んだに違いない。剣豪・宮本武蔵を尊敬し、『五輪書』を愛読していたゴッチだけに、立派な墓石を見てもその精神性の深さがうかがえる。

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