「県立の男子校に、女子の入学が認められるべき」という苦情がきっかけで… なぜ「男女別学」は目の敵にされるのか

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男女が別々に学ぶ合理的な理由はある

 短所はなんだろうか。これは男女のいずれかしかいない環境下で、異性とのコミュニケーションをとる機会が得られないということに尽きる。しかし、それに関しては、習いごとその他を通じて、異性と交流する機会を確保するなどして補うことも可能だろう。

 ここまで見てきたかぎり、男女別学であることが、男女共同参画の阻害要因になるとは到底思えない。むしろ、男女の性差を理解したうえで、性差を越えて個性や能力が発揮しやすくなる面が大きいように思える。男女がたがいに尊重し合える社会は、子供のころから男女が常に一緒にいれば形成できる、という単純な話ではないのである。

 とはいえ、現在の大半の学校が男女別学であるなら、異性とのコミュニケーションが苦手な若者が増えてはいけない、という懸念が浮上するのもわかる。しかし、別学が多いとされる埼玉県にしても、全公立高校の1割未満にすぎない。これほど多様性が叫ばれる社会において、このような例外を徹底的につぶそうとする理由は、いったいどこにあるのか。

 埼玉県では別学の長所を享受している生徒や保護者から、共学化への反対の声が上がっている。5月下旬には、12校の保護者代表が大野元裕知事宛てに「各校で保護者の6割弱から9割が共学化に反対している」という意見書を提出した。また、読売新聞によれば、東大に毎年、30人から50人程度が合格する男子校の浦和高校で、3月の集会で生徒たちが次々と、「定員割れなどのやむを得ない理由もないのに、共学化されるとしたら悔しい」「異性がいると埋もれてしまう意見を共有できる環境が好き」などと語ったという。

 一方、市民団体の「共学ネット・さいたま」の会員らは4月10日に埼玉県庁で記者会見し、「誰に対しても開かれた公教育」「男女共同参画の推進」「性的少数者の権利擁護」などを挙げ、「勉強するのに性別を問う必要はない。合理的な理由のない区別は差別だ」などと主張した。

 しかし、前述したように、男女が別々に学ぶ「合理的な理由」はあきらかに存在しており、勉強するのに「性別を問う必要はない」という主張は根拠に欠ける。強引な共学化は、異性を意識せずに能力を伸ばしたい、と考える子供たちや、その保護者たちを不当に差別することにつながる。

 埼玉県の公立高校には幸いなことに、まだ12校の別学校がある。いまのうちに共学校と別学校のそれぞれについて、学力の伸長度やジェンダー意識などに関する比較調査をしたらどうか。その結果、別学校の存在が男女共同参画社会の推進への妨げになる、という結果が出たら、共学化すればいいではないか。拙速な判断をすれば、取り返しがつかない。

香原斗志(かはら・とし)
音楽評論家・歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。

デイリー新潮編集部

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