「県立の男子校に、女子の入学が認められるべき」という苦情がきっかけで… なぜ「男女別学」は目の敵にされるのか

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男女共同参画のためというが

 男女別学の高等学校、すなわち男子校、女子高が減少しつつある。かつて別学の公立高校が約20校あった福島県では、2003年までに全校が共学化され、宮城県も2005年までにすべての共学化を終えた。現在、公立高校にかぎると、別学は全国で44校にすぎず、その7割超が埼玉、群馬、栃木の各県にある。

 そのうち12校の別学校をかかえる埼玉県でいま、共学化へ向けた動きが活発になっている。2023年8月、弁護士らで構成される第三者機関「埼玉県男女共同参画苦情処理委員」が、早期に共学化すべきだと県教育長に勧告したのである。

 きっかけは、2022年4月に県民から寄せられた「県立の男子校に、女子の入学が認められるべきだ」という1件の苦情だったという。それを受けての「苦情処理委員」の勧告には、「男女共同参画のために共学化が必要であるとの認識は、すでに社会共通の認識に成熟している」という趣旨が書かれていた。

「苦情処理委員」は県教育局に、今年8月末までに勧告に対する報告をするように求めており、対応が注目されているが、そもそも埼玉県内には137の県立高校がある。男女別の高校はその1割未満で、全体からみれば例外にすぎない程度の数なのだが、それがこうして問題視される理由は、どこにあるのだろうか。

「苦情処理委員」の勧告では、上記のように「共学化が必要」な根拠は「男女共同参画のため」であるとされていた。近年、各県が別学校を共学化した際も、「男女共同参画のため」であることが謳われていた。しかし、男女別学が、男女共同参画を阻害する要因になるのかどうか、最初に考えておく必要がある。

理数系のほうが別学に進む割合が多い

 そもそも、男女共同参画社会とはなにか。独立行政法人「国立女性教育会館」のホームページには、こう書かれている。「男女共同参画社会は、男女が互いに人権を尊重し、『女性』や『男性』というイメージにあてはめてしまうことなく、一人ひとりが持っている個性や能力を十分に発揮できる豊かな社会のことです」。

 妥当な説明だと思われる。また、そこで求められているのは、男女が常に同じ場にいることではなく、あくまでも「互いに人権を尊重し」、「一人ひとりが持っている個性や能力を十分に発揮できる」ことだと気づかされる。したがって、男女別学の是非を「男女共同参画」の面から問うのであれば、以下のことが検証される必要がある。すなわち、高等学校で男女が別々に教育を受けた場合、男女が人権を尊重し合い、性差を問わずに個性や能力を発揮するうえで、支障が生じるかどうか、ということである。

 では、男女が別々に学ぶと、たがいに人権を尊重し、個性や能力を発揮するのが困難になるのだろうか。それを検証するために、男女別学の長所と短所を列挙してみたい。

 長所としてはまず、男女の性差を考慮したカリキュラムにより、理解が促進されるということがある。いくら「男女共同参画」を謳ったところで、男女の性差は無視できない。とくに成長期には性ホルモンも関係して、発達に男女差が生じる。たとえば、身長の伸びも女子のほうが早く、男子が遅れるのと同様に、理解力や理解の仕方においても性差がある。しかし別学なら、男女それぞれにより適合したカリキュラムを組むことができる。

 次に、別学では異性を意識する必要がなく、自分がやりたいことを見つけて、それに集中することができる。思春期には、とりわけ男子は、同じ空間に異性がいるとどうしても気になり、興味や関心の対象に素直に向き合えなくなることがある。別学ではそうした懸念がない。性差を意識する必要がないぶん、個性や能力を発揮しやすいのである。

 このため、女子高出身者は共学出身の女子より、理数系に進む割合が多いというデータもある。理数系の学生を確保するために、国立大学の4割が大学入試で「女子枠」を導入すると報じられたばかりで、それも「男女共同参画」の実現に向けた取り組みだとされる。したがって、この点からみるかぎりは、むしろ別学のほうが、男女共同参画に近づいていることになる。

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