ソフトバンク、「柳田悠岐」が長期離脱しても独走状態へ…背景には“不変の中核”というブレない戦略があった!

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中心選手が打撃ケージを独占

 王監督時代の高知キャンプ。当時、中心選手だった小久保はそれこそ、大げさな表現ではなく、朝から晩まで練習に明け暮れていた。練習開始は午前10時。小久保はその2時間前に宿舎を出て、メーングラウンド横にあるウエートトレーニング場にこもった。ストレッチをじっくりと行い、筋トレに取り組んだ後に全体練習に合流する。

 そこで与えられたメニューは、当然ながら完遂する。そして、午後3時過ぎに全体練習が終わると、メーングラウンドには2つの打撃ケージが設置される。

 小久保と松中信彦の2人が、それらのケージを独占する。ひたすら、納得いくまで特打を敢行する。打ち続ける彼らの姿を、ケージの後ろから王が見つめている。

 その“高知の夕方”の光景が醸し出す迫力もさることながら、その姿を横目に、若手選手たちが先に宿舎へ戻ることが、なかなかしづらい雰囲気も漂ってくる。

自らの定めた“中心”を動かさない

「練習しろ」と、ガミガミと言うのではない。しかし、小久保の背中から常に発信されているその“メッセージ”に、感化されない方がむしろおかしい。

「あの人たちが、あれだけやるのだから」という、半ば義務感のような形から始まろうが、それは関係ない。チーム内に競争の好循環を生む、その“触媒”となるのが主力の務めであり、その行動、考え方、プレーのすべてでお手本になり得るという、心身ともに高いレベルに達しているからこそ、常勝チームのレギュラーであり続けられるのだ。

 その絶大なる信頼感ゆえに、王ホークスで「4番・小久保裕紀」は、不動の軸だった。ただ、初優勝を果たした1999年、不振で打率が2割を切ったこともあった小久保は、自らの不甲斐なさに耐え兼ね、王に「4番を外してください」と直訴したことがある。

「俺が使っているんだ。お前は、そんなことを考える必要がない」

 王は、もがく小久保をそう突き放したのは、後に「小久保を動かしたら、他の打順も動かさないといけなくなる」という理由を明かしている。4番から仮に6番に降格させたとすると、元々の6番の選手も動かさないといけない。一人を動かせば、それこそ玉突きのごとく多方面にわたって影響を及ぼすのだ。

 だから、監督となった小久保も、自らの定めた“中心”を動かさない。

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