なぜ地方では「氷河期世代」と出会わないのか? 50歳「ネット編集者」が佐賀に移住して気づいた“東京のメディア”のやり口

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氷河期時代は不遇?

 1990年代中盤~2000年代前半に就職活動をしたいわゆる「氷河期世代」は現在アラフィフになっている。彼らは「虐げられた苦しい世代」のように社会的論調やメディアでは取り沙汰されているが、それは都会特有の話ではないかと私(ネットニュース編集者・中川淳一郎・ド真ん中氷河期世代の50歳)は思う。

 2020年11月1日まで東京に住んでいて、その日に佐賀県唐津市に拠点を移したところ、同世代と多数接することとなった。さすがに第二次ベビーブームでもっとも出生数が多い1973年生まれ(約209万人)のため、遭遇する確率は高い。

 そうしたところ、同世代でキツい人生を送っている人と佐賀では出会わないのだ。皆さん何らかの仕事はあるし、車を持っているし、家も建てている。そして彼らは大卒というわけではなく、高卒が多い。「氷河期世代は不遇」というのは一体何だったのか? ということを考えると、以下の3点が浮かび上がってくる。

【1】無駄に高収入を求めた
【2】自分の実力がこの程度だと思いたくない
【3】時代が悪い、と言って自己の現状を肯定する

テンプレのような分析

 別に私は「お前らの努力が足りないんだ、オラ!」などと言いたいわけではない。しかしながら、氷河期世代であろうが、そして大卒ではなかろうが幸せに生きている人々と接する日々を送ると、こう思えてしまうのである。結局、上記【1】~【3】的側面を、都会の人、そして彼らを取材する都会のメディアが決めつけたうえでそのように報じているのでは、と。ストーリーとして、東京のメディアは以下のようなものを作ろうとしている。

〈幸せな少年少女時代を送っていた団塊ジュニア世代だが、大学でまずは激しい競争を経験する。その後の就職活動でもバブル崩壊のあおりを受け、希望する会社に入れない人々が続出。バブル期であれば仕事を選び放題だった人材が結果的に正社員としての内定を得られず非正規雇用に。その後は派遣労働を転々とし、まともな専門分野も身に付かなかった。結婚もできず、2024年、気付いたら独身の子供部屋おじさんになっていた〉

 コレはもはや氷河期世代に関するテンプレのような分析だが、地方では全然違う。何しろ、上記【1】~【3】を求めていないから仕事はあるし、アラフィフの氷河期世代は貴重かつキャリアのある労働の担い手として活躍しまくっているのである。

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