「三茶のプリンス・伊藤匠七段」を育てた師匠は「プロ入りを勧めなかった」 将棋ブームは続かないと思うワケ
「25歳までは絶対にやるな」と伝えていること
宮田さんは秋田県大曲市(現・大仙市)の出身。19歳で奨励会の四段に昇段しプロとなった。高柳名誉九段門下で、兄弟弟子には中原十六世名人をはじめ第52期棋聖の田中寅彦九段(67)や初代竜王の島朗九段(61)などがいる。タイトル歴はなく、一般棋戦では準優勝が多いが、なぜか優勝歴がない。1983年には王座戦の挑戦者決定戦まで行ったが、同門の中原十六世名人に敗れた。
1986年1月の王将戦の予選では、羽生善治九段(53)のプロデビュー戦の対戦相手となった。藤井八冠で言えば「ひふみん」こと加藤一二三九段(84)の役割である。結果は羽生九段の勝ち。レジェンドとの公式戦対決はこれが唯一だった。宮田さんは2017年に64歳で引退した。
師匠・高柳名誉九段の遺志を継いで弟子を育ててており、伊藤七段を筆頭に斎藤明日斗五段(25)、本田奎六段(26)など若手の強豪を生んでいる。
宮田さんが「あと一歩」の栄誉を手にできなかった原因は、酒や博打だったとか。そんな反省から弟子たちには「酒と博打は25歳までは絶対にやるなと話している。およそ匠は、そんなものに溺れるとは思えないけどね」と言う。
将棋界の人だけと付き合っていては世界が狭くなると考えた宮田さんは、様々な人と交流した。将棋好きで知られた俳優の石立鉄男さん(1942~2007)とも交流があった。
「ある時、6枚落ちで私が勝ってしまったら、1年くらい電話がかかってこなかった」と笑って振り返る。読書家で歴史物が好き。アイヌ民族の歴史をはじめ、最近では無政府主義者の大杉栄(1885~1923)らを殺害した甘粕正彦(1891~1945)に興味を持っているとか。
「将棋ブームはいつまでも続かない」
現在、隆盛の将棋界について、宮田さんはどこか達観している。
「将棋なんて将来どうなっているかわからない。今はたまたま藤井ブームで盛り上がっているだけ。兄弟子の中原名人の若い頃や羽生さんが若くして名人になった頃など、一時期、人気は出たけど、これほどすごいブームではなかった。プロ棋士は170人くらいしかいないと言っても、棋士になんかになったって食っていける保証はないですよ。プロ野球選手なんかに比べたって、全然、年収も低い。高収入はごく一部の棋士だけ。プロになったって大変ですよ」
藤井ブームもあって教室は繁盛するが「ブームがいつまでも続くとは思っていない」と言う。藤井八冠についても「世の中の人は藤井八冠時代がずっと続くと勘違いしている。そんなことはあり得ませんよ。豊島(将之)九段(34)だって永瀬(拓矢)九段(31)だって、あのままでは終わらないでしょう」と語る。
あの羽生九段でも七冠独占を維持できたのはたった5カ月。まずは三浦弘行九段(50)に棋聖を奪われた。羽生九段の「維持記録」を抜いた藤井八冠のタイトル独占を崩す可能性のある男が、今、身近なところにいるのだ。
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