「三茶のプリンス・伊藤匠七段」を育てた師匠は「プロ入りを勧めなかった」 将棋ブームは続かないと思うワケ

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 挑戦者・伊藤匠七段(21)による藤井聡太八冠(21)の「八冠崩し」がかかる将棋の叡王戦五番勝負の第5局が6月20日に迫る。伊藤七段が5歳から通った「三軒茶屋将棋倶楽部」(東京都世田谷区)の経営者で師匠でもある宮田利男八段(71)に伊藤少年の秘話を聞いた。(前後編の後編)【粟野仁雄/ジャーナリスト】

 前編【「たのって呼ぶぞ」伊藤匠七段 少年時代の秘話を師匠が明かす 藤井聡太が通った将棋教室との“違い”とは】のつづき。

子供の頃はぽっちゃりした顔

 伊藤七段はこの1年ほどで驚異的な勝率を上げ、昨年秋には予選トーナメントを制して竜王戦の挑戦者に、今年3月には棋王戦の挑戦者になった。現在、挑戦中の叡王戦を含め、半年で3回もタイトル戦の挑戦者になるのは驚異的だ。しかも、叡王戦では先勝された後に2連勝し、藤井八冠をカド番に追い込んでいる。

 伊藤七段はどんな子供だったのか。近くで見守ってきた宮田さんに訊いた。

「子供の頃はぽっちゃりしたかわいらしい顔をしていたのに、15、6歳頃から顔が細くなり、急にオッサンぽくなった。声変わりで声が低くなったこともあるかな」

 確かに伊藤七段の声は非常に低い。「その頃から『おい、オッサン』って呼んだりしますよ」と宮田さん。そして壁に飾られたセピア色の1枚の写真を指した。師匠の高柳敏夫名誉九段(1920~2006)、兄弟子の中原誠十六世名人(76)らと一緒に宮田さんが写っていた。

「その写真、私は何歳だと思いますか?」

 答え淀んでいると「19歳ですよ。オッサンでしょ」と自虐的に語った。たしかに19歳には見えない。

 将棋世界では、天才少年らは10代半ばごろから年長者ばかりに囲まれた生活になりがちで、無邪気に同級生などと戯れることなど少ない。そのためか一般の高校生や大学生などに比べて大人びて見えることがあるのだろう。

プロ入りは勧めなかった

 ある時、伊藤少年が「奨励会に入りたい」と言い出した。宮田さんの元に受験の申込書を持ってきて、「先生、ここにサインしてください」と署名欄を示した。そんな伊藤少年に冗談好きの宮田さんは「将来、名人や竜王になって、賞金を半分、先生に持ってきなさい。それなら書いてあげるよ」と。すると普段はおとなしい伊藤少年が「わかりました」と大きな声で言ったのだ。

「おとなしいですが、芯は強い子でしたよ」

 伊藤七段の図抜けた才能に驚いていた宮田さんだが、プロになることは勧めなかった。

「ものすごく学校の勉強ができたので、東大に行って社会のためになる人材になれって言いましたよ。ちょうど東北の大震災があった頃だったし」

 伊藤七段が四段に昇段し、晴れてプロの棋士になったのは2000年のこと。

「本人の強い希望だったので反対まではしなかった」

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