小渕優子・選対委員長は次の党役員人事で真っ先にクビに…ロクな仕事もできず「自民党のおごりを象徴するような人事だった」

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小渕氏は姪っ子──の政治部幹部

「河野一郎さんは国民から首相待望論が出るなど、非常に人気のある政治家でした。ところが総裁選では佐藤栄作さん(1901~1975)に破れ、その翌年に急逝します。そして河野洋平さんが世襲議員として登場すると、自民党の一部議員だけでなく、河野番を担当していた政治部の記者たちも『次は洋平さんが首相になる番だ』と応援したそうです」(同・伊藤氏)

 1993年7月の衆議院選挙で自民党は過半数割れとなり、細川護熙氏(86)を首相とする非自民・非共産の連立政権が発足した。

 下野した自民党の総裁選は河野洋平氏が勝利し、自民党の歴史で初めての「首相を兼任しない党総裁」となった。これに同情する声は強く、自民党が政権与党に返り咲いてからは「河野首相」を求める動きもあった。だが実現することはなかった。

「河野洋平さんにも同情の声はありましたから、洋平さんが引退すると今度は河野太郎さんに期待の声が集まるわけです。同じ文脈で小渕優子さんも後押しされている。父親の小渕恵三さんの番記者は、今や政治部の幹部です。彼らにとって優子さんは姪っ子のような感覚でしょう。とはいえ、これでは選対委員長が“充て職”のような扱いですし、政治家の能力ではなく、世襲を積極的に評価して任命しているのですから大問題です。裏金事件が発覚する前の人事のため『誰が選対委員長でも自民党は選挙に勝つ』という奢りを読み解くことも可能です」(同・伊藤氏)

壊れた“岸田人事”

 今年1月、小渕氏は所属する茂木派に退会届を提出。さらに青木幹雄氏の長男で参議院議員の青木一彦氏(63)も退会する意向を示した。青木氏が小渕氏に肩入れしていたことを考えると興味深いが、大手メディアは「茂木氏に対する反発が強まった結果」と報じた。

 小渕v.s.茂木という対立関係が鮮明になっているわけではない。とはいえ、肝胆相照らす仲であれば脱会するはずもない。幹事長と選対委員長のコミュニケーションが疑問視されるのは当然だと言える。

「平成研究会は現在、茂木派となっていますが、もともとは竹下登さん(1924~2000)の竹下派であり、小渕恵三さんの小渕派でした。小渕優子さんは『本来なら派閥の領袖は私』だと考えていたはずで、それが脱会の大きな原因の一つだったでしょう。実は岸田さんが小渕さんを選対委員長に抜擢したのは、茂木さんと小渕さんの微妙な人間関係を利用し、茂木さんを牽制するという意図もあったのです。岸田さんがご自身の権力基盤を安定化させることも狙っての人事だったわけですが、自民党に吹く逆風が強烈なので、そうした布石が裏返ってしまうという皮肉な状態になっていると言えます」(同・伊藤氏)

 岸田首相の人事は巧みという評価は少なくないが、茂木─小渕の件ばかりは“策士策に溺れる”だったのかもしれない。

註:[New門]自民幹事長 カネと人事で「次の首相」左右(読売新聞朝刊:2020年8月11日)

デイリー新潮編集部

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