社会問題化する「カスハラ報道」への違和感… 決定的に抜けていると感じること

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従業員側と客側の双方が意識するしかない

 日本という国は、なぜか極端から極端に走りやすい。それまで原発一辺倒だったのが、福島第一原発の事故が起きると、再生可能エネルギー一辺倒に転じた、というのは一つの典型だ。しかし、原発にも再生可能エネルギーにも、長所があれば短所もある。だから、それぞれを俯瞰して、長所と短所を総合的に検討する必要があるのに、それができない。昨今の「カスハラ」の取り上げ方にも同様のものを感じる。

「カスハラ」を行う客の推定年齢は、UAゼンセンの調査によれば、60代が29%でもっとも多く、次が50代の27%、70代以上の19%だという。失われた30年において低調な経済状況が続き、加えて新型コロナウイルス禍によって閉塞され、高齢層の欲求不満がたまっているのが一因だ、とする分析がある。一方、昨今の若年層が以前にくらべ、ハラスメントと名づけられるような状況への耐性を失っているということもあるだろう。

 そうしたことまで見据えなければ、カスハラ問題は本質的には解決しない。

 しかし、短期的には、従業員の側と顧客の側がそれぞれ、巨視的に眺めたときになにが自分にとって最大の利益をもたらすのか、しっかり考えることだろう。すなわち、従業員の側は、ていねいな応対で客に満足してもらう、という姿勢を失ってはいけない。客の側は、一時の感情にまかせて従業員を恫喝すれば、今後、自分自身が受けるサービスの質が低下する可能性があることに、思いを至らしめる必要がある。たとえば、バスやタクシーの運転手のなり手が激減している背景には、「カスハラ」への恐怖感がある。

 結局のところ、鍵はそこにある。従業員側と客側。あくまでも双方が認識をあらたにすることからしかはじまらない。

香原斗志(かはら・とし)
音楽評論家・歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。

デイリー新潮編集部

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